看話禅
序文
基礎段階
- 第1章 祖師禅とその歴史的展開
- 第2章 看話禅概観
- 第3章 仏の教えと看話禅
- 第4章 看話禅の基礎修行
実際の参究段階
- 第1章 話頭の決択の段階
- 第2章 指導者の役割
- 第3章 話頭の参究の段階
- 第4章 禅病の克服
- 第5章 日常生活における話頭の参究法
- 第6章 話頭の参究と三昧の段階
悟りの世界
坐禅法
FAQ
- 「安居」とは何ですか?/一定期間、寺の外に出ず、修行にのみ..
- 韓国禅院の生活と日程はどのようなものですか?
- なぜ礼拝をするのですか? /自分を低くして仏の心を起こすた..
- 自分の修行の程度を確認したいのですが、どのようにすればよい..
- どのようにして話頭を受けるのですか?
序文
あるいは妨げなく生きる道, 看話禅/看話禅との幸せな出会い
あなたは誰ですか?あなたはどこに向かっていますか? 私たちは時折、誰かからこのような質問を受けます。あるいは、ふと自らに投げかけてみることもあるでしょう。 さあ、この問題を真剣に問い、そして確実に答えてみてください。あなた自身の本当の姿とあなたが生きる道を明確に答えてみてください。おそらく答が100 あるとしても、それらはみな外れていることでしょう。このような根本的な問題は、理性によって答を出そうとしても不可能です。理性は理性自身の限界を持っているからです。そして、何よりもこれは頭によって答えることができる問題ではないからです。 さらに問いましょう。 どうすれば本当によく生きることができるのでしょうか?どうすれば真に自由で平安でいられるのでしょうか?どうすれば永遠の幸福を得ることができるのでしょうか?毎日を揺らぐことなく自信をもって生きることができるのでしょうか?他人とともに美しく分かち合いながら自足した生を送ることができるのでしょうか?心に傷を負うことなく、また他人をも傷つけることもなく生きていくことができるでしょうか?自然のままに柔軟に生きていくことはできないのでしょうか? 看話禅は、このような問いに対して簡潔かつ明瞭に答を出します。そして日々を堂々と、しかも妨げなく生きる道、生き生きと生きていく道を示します。仏を目標に生きていく道を、まさにこの場で明らかにしましょう。
自分の外にあるものに拘束され、あくせく生きている者の疲れ果てた姿を見てみなさい。 学生たちは勉強に命をかけ、恋人たちは愛に命をかけ、生活する人はお金に命をかけ、会社員は会社に命をかけ、家族は子供と夫と妻に命をかける。このように、つらく生きている姿を見てとることができるでしょう。しかし、そのように生きている自分たちに今後どのような現実が待っているか、よく考えてみましょう。時間が過ぎて行くと、ある日突然、それらが見覚えのない顔で近づいている現実に直面することでしょう。それは、対象が自分の期待に外れ、私に深い傷を与えて離れていく冷酷な現実のためでしょう。さて、それはそもそも私がなぜ生きるのかを知らずに生きてきたためなのです。自分が無いままで生きてきたためなのです。自分が無いままで対象に執着して生きてきたためなのです。
対象にとらわれたり、支配されまいとすれば、自分の中心を立てなければなりません。 私自身の大切な存在価値を見つけなければなりません。簡単に変わったり、右往左往するような、主体性のない私ではなく、どんな風にも揺らぐことのない自分、永劫に変わることのない自分、堂々とし生き生きとしている自分自身、そのような自分の本来の姿、主人公を確認しなければならないのです。そうした私の中心をしっかりと立てなければなりません。そうすれば私が対象に従うのではなく、対象や物事が私に従うようになります。それは趙州禅師の言葉のように、 24時間を主体的に生きるということなのです。残念なのは、私がいつでもそれと一緒にいながらも、きちんと見ることができずにいるという現実です。
自分自身をきちんと見据えなければなりません。 自分自身を確認しなければなりません。 その自分を確認する方法は、理性が介在した思考や言葉などでは駄目です。考えによって答を求めようとしても、その瞬間に的を外すことになるでしょう。 西洋近代哲学を開いたルネ・デカルトは「私は考える。故に存在する」という有名な言葉を説きました。デカルトは誰でも認定するほかない確実で明らかな存在を求めました。探してみると、自分が考えている時は明らかに自分が存在している姿がはっきりと浮かんできたため、人間の思考作用だけが存在の確実な根拠であると説いたのです。
でも、考えるということは理性の作用です。このような理性の作用には常に「自我」という意識がつきまとっています。この自我は自己中心的に考え、物事の是非を明らかにしたがります。いつも自分を中心として考え、自分と自分のものにがむしゃらに執着します。是非を分け、分別をし、白黒をはっきりとさせようとします。いつも自分という色眼鏡をかけて相手を見て比較します。そうすると物事の真実や全体を見ることができず、部分や表層を見ただけで、それを全体と思い込み、真理であると主張するようになります。それを本当の自分であると叫びます。その瞬間、私たちは常に事態の本質から外れているのです。 そのため人間の理性と言葉では自分自身の本来の姿、物事の真の姿を見ることはできません。とうていそれを探す道はありません。
思考の道と言葉の道が絶たれてこそ私たちは本当の自分自身、あるがままに現われている真理を見ることができます。そのようにする時、全体として生きている自分自身を見ることができます。ありありと生きている自分自身、自分を動かし、考えさせ、泣いたり笑ったりさせている、その本質を見出すことができるのです。
自我が思考をするのではなく、私を動かしているそれ、その主人公が思考をするようにならなければなりません。その動きを感じなければなりません。それとともに行い、それとともに愛し、それとともに創作し、勉強をし、働き、歌わなければなりません。そうすれば、そこにはどんな邪魔もありません。自由なのです。妨げがないのです。
看話禅は話頭(公案)を参究して修行する禅です。話頭は言葉と思考の道、心の道が絶えた、言葉以前の言葉です。考えが出てくる以前の考えです。とうてい思考と言葉が及ぶことが出来ない言葉であり、この意味では言葉ではありません。話頭は思考と言葉を遮断します。話頭は私たちの小賢しい理性の動きを防ぎ、仏の真理へと導きます。したがって話頭を参究し、それを打破すれば、理性の障壁が音を立てて崩れ、真理が現われてくるのです。
話頭を参究するということは、話頭が私の心の中にバシッと掛かるということです。私の全身全霊が話頭と一塊になるということです。そのように話頭と一体になると、全ての分別作用と雑念が無くなります。そのため話頭を参究して、すぐに見抜くことができれば、その場で悟るようになります。まさに仏の姿を確認します。そうなると、あなたと私が一つになり、私と虚空とが一つになります。 また日常生活でも、話頭が私の心の中で参究を続けていると、主人公が私の中心にいることになるため、どのような状況に直面しても揺らぐことがありません。私の心の中で話頭一つだけがはっきりと動き、感情に動揺せず、理性の作用にも支配されないようになります。推し量ったり比較したりしません。相手が私に傷を与えても、それにより傷ついたり怒ったりしなくなります。 そのようにして日常生活を平安で幸せに送ることができるようになります。そして究極的に話頭を打破すると真の自分を見ることができます。真の自分を知ることができます。生の目標がはっきりとします。どこに行こうが、今この瞬間に主体的に立っているので行く道に悩むことはありません。ですから、どこに行こうが堂々と進むことができ、自分一人でこの宇宙に「すっと」立つことができます。 それは既に真の主人です。どんな抑圧や拘束も、それを閉じ込めることはできません。その人の肉体は閉じ込めることができるでしょうが、その人の精神と言葉は閉じ込めることはできません。 話頭を参究し禅に入って来なさい。すぐこの場で。その瞬間、話頭が心に掛かるようになり、そして分別作用が徹底して打破されれば、それが仏なのです。私の一つ一つの行動が仏の行動そのものなのです。その仏の行動には痕跡がありません。跡を残すとすれば、それは偽者です。虚空を飛ぶ鳥は跡を残さないから美しいのです。 韓国は、このような看話禅の修行の伝統を最もよく維持してきた代表的な国です。 この文の内容は禅院で修行している禅師たちが中心となり、看話禅の歴史や修行方法、看話禅の精神を教えているものです。 この文はみなさんを真理の世界へと導くことでしょう。 再び質問します。 「あなたは誰ですか?」 頭ではなく体で、躊躇せずにすぐに言いなさい、言って見なさい。
基礎段階
第1章 祖師禅とその歴史的展開
第1節祖師禅の意味と流れ
1)祖師禅の意味 祖師禅とは、悟りを完成した全ての祖師たちが、本来、成り立っている悟りの世界を、正しく眼の前に引き出して見せた法門である。この門に立つと、言葉の道と思考の道とが絶え、自らが本来、仏であることを明確に悟り、何にもとらわれることのない自在な生を享受するようになる。 体露金風という言葉がある。秋風が吹いて葉がすべて落ちると、木の本来の姿が赤裸々に現われることを表現した言葉である。誰でも悟りを開くと、言葉と思考という自我の存在方式が崩れ去り、法界の真の姿がありのままにあらわれる。祖師禅とはまさしくこのようなものである。 仏は自ら体得された悟りの世界を、心から心へと伝える以心伝心の方法により摩訶迦葉尊者に伝えられた。この機縁は次のようなものである。 ある日、仏は一輪の蓮華の花をとって多くの大衆の前に見せられたが、その大衆たちの中で、ただ摩訶迦葉尊者だけがにっこりと微笑んだ。仏は蓮華を提示してその心を見せるや、迦葉尊者がその心を正しく悟り、微笑により答えられたのである。 「花をとるや、にっこり笑う」。いわゆる「拈花微笑」がまさしくそれである。 禅は拈花微笑という意味深い機縁により誕生した。この仏から迦葉尊者へと伝えられた法は、その後にも師匠から弟子へと絶えることなく継承された。 インドで28番目にこの法を継いだ方は菩提達摩祖師である。達摩祖師は中国に渡り仏様の真正なる禅法を伝え、東土の初代の祖師となったのである。 2)祖師禅の流れ 中国の禅宗は、インドの第28代目の祖師であり、中国祖師禅の初祖である達摩禅師から始まった。こうして仏様が伝えられた禅法は初祖達摩(?-?), 二祖慧可(487-593), 三祖僧璨(?-606), 四祖道信(580-651), 五祖弘忍(594-674),六祖慧能(638-713)禅師を通して綿々と継承され禅宗の巨大な流れを形成した。 達摩祖師は少林寺において面壁九年により心の本質を見せられ、歴代の祖師たちも心から心へと伝えてきた。これを祖師禅という。 祖師禅を中国に実質的に定着させた方は六祖慧能禅師である。慧能禅師は全ての人間が本来持っている自性を直指し、正しくその場においてすぐに悟る頓悟見性を明らかにした。中国の禅宗が綿々と継承することが出来たのは慧能禅師がこのような頓悟禅法を全身全霊をつくして広められたからである。 慧能禅師の禅法を確固としたものにした方は、禅師の弟子であった荷澤神會(670-762)禅師である。彼は慧能禅師が説いた、心を単刀直入に見性する頓悟法を大きく浮かび上がらせた。神会禅師以後、祖師禅を大きく隆盛させた人物には、馬祖道一(709-788) 禅師と石頭希遷(700-790) 禅師門下の善知識たちがいる。彼らは揚子江の南側に位置した江西と湖南地方を中心として祖師禅風を大きく奮い立たせた。馬祖と石頭禅師は祖師禅の教えを広め、優れた弟子たちを数多く養成し、禅宗を歴史の中に確固としたものに根付かせた。 例をあげると、馬祖禅師の多くの弟子の中、百丈懷海 (749-814) 禅師がいる。百丈禅師は禅院の清規を制定し、中国で最初の禅修行の共同体である叢林をつくった。また、「一日作さざれば一日食わず(一日不作、一日不食) 」という生活の原則を自ら実践し、自給自足をしながら修行に専念する禅院共同体の土台を築き、禅宗を歴史の磐石の上にしっかりと立てたのである。 馬祖禅師と石頭禅師門下の多くの善知識たちは、引き続き、その門下に数多くの禅師たちを輩出し、禅法が中国だけでなく東北アジアに広く普及させた。 12世紀中盤になると宏智正覚(1091-1157) 禅師が黙照禅を宣揚し、大慧宗杲(1089-1163)禅師はこれを批判しながら看話禅を体系化し広く普及させた。そのため祖師禅は修行方法の上から黙照禅と看話禅とに分かれ、新たな時代を迎えることになった。 大慧宗杲禅師が体系化した看話禅は、祖師禅の核心を最もよく維持している修行法である。すなわち看話禅は、祖師禅が強調する見性体験をそのまま受け継いだだけでなく、祖師方が心の本来の面目を正しく見せた、言葉の道が絶たれた言葉を話頭という形態に定形化し、この話頭を通して、いまこの場で心を悟る卓越した修行法である。
第2節 韓国禅の歴史と伝統
1)禅の伝来と祖師禅の受容 韓国の看話禅は、六祖慧能禅師が定着させた祖師禅の流れをそのまま継承した祖師禅の正脈である。韓国にこの禅法が最初に入ったのは新羅末と高麗初期であり、当時、唐に留学した求法僧たちが中国から禅法を伝え、この地への伝播が始まった。 これらは大部分が慧能禅師の弟子たちから禅法を継承したのであり、彼らにより形成されたものが九山禅門である。高麗時代になると、この九山禅門を通称して「曹溪宗」と呼ぶようになったが、これは慧能禅師の禅法を継いだ禅宗という意味である。 大韓仏教曹渓宗の「曹渓宗」という宗派名もまた、慧能禅師が留まり頓悟禅法を広めた山の名前に由来する。唐宋時代から慧能禅師を曹渓慧能と呼んできた点から見て、曹渓宗はその本質が祖師禅の正脈を継承するところにあることを端的に知ることが出来る。 曹 渓宗の宗祖である道義国師は慧能禅師の4世である西堂智蔵(735-814) 禅師より禅法を受けた。道義国師は智蔵禅師に師事して参究し、疑心の塊である疑団をついに解いた。これを見た智蔵禅師は、あたかも石の中から美しい玉を見出したように、或いは貝殻の中から真珠を拾ったかのように喜び、「本当に、このような人に法を伝えずして誰に伝えようか!」(『祖堂集』第17巻)と言いながら、法名を「道義」と改めさせたという。 高麗時代に入り、王室の強力な後援を受けた天台宗の出現により、禅宗は多少、萎縮したものの、12世紀に入ると教団を整備しながら新たな基盤を築き堅固なものにしていった。迦智山門の円応学一(1052-1144) 国師と闍崛山門の大鑑坦然(1070-1159)国師は、禅宗の復興のために活躍した方たちである。また、禅僧たちと幅広い交流をしながら、当時、高麗禅に思想的な影響を大きく及ぼしていた李資賢(1061-1125)居士は、活気あふれる居士仏教の時代を花咲かせた。 2)看話禅の受容と定着 高 麗時代の武人集権期には普照知訥(1158-1210) 禅師の登場により、再度、禅風が大きく隆盛した。普照国師が修禅社(今日の松広寺)において禅定と智慧とを共に練磨する修行運動である定慧結社を展開するや、禅を修する修行者たちが四方から集まった。この時、初めて大慧(1089-1163)禅師が立てた看話禅法が普照国師によりわが国に最初に導入された。国師は優れた機根の修行者のために看話禅を提示した。 しかし看話禅を高麗仏教に本格的に受容した方は真覚慧諶 (1178-1234) 国師である。慧諶禅師は、わが国最初の公案の集成といえる『禅門拈頌』を編纂した。この公案集は修行僧たちが話頭により工夫(※注・禅宗における修行のこと)を行うことができる実質的な道を開いた。また慧諶禅師は、修行者たちが「無字話頭(狗子無仏性話)」を参究し、工夫をする際に生ずる具体的な禅病とその症状について詳説した。 慧諶禅師以後、看話禅の修行法と家風は修禅社の16人の国師を通して継承された。もちろん彼らが活動していた時期にも中国から看話禅の修行法が何度か高麗にもたらされた。 1270 年、武人政権が倒れ、修禅社が退潮すると看話禅の流れは新しく登場した一然(1200-1289) 禅師により禅風が整備された。この頃、高麗の多くの禅僧たちは元に入って求法活動を行い、彼らを通して多くの禅籍と新たな禅法が導入され、高麗の禅宗は新たな局面を迎えることとなった。 3)看話禅の発展と完全な定着 看話禅が、この国に確固として定着したのは高麗末に活躍した3人の善知識による。3人の善知識とは、太古普愚(1301-1381)、懶翁惠勤(1320-1376)、白雲景閑 (1299-1375)禅師をいう。この方たちは自から中国に入り、禅門の真正な宗師たちの挙揚(※注・修行者の悟境を確認する問答)を通して臨済宗の正しい法脈を継いだ後、高麗に帰った。このようにして3人の善知識は、当時高麗の禅門の新たな家風を形成した蒙山禅師の教えの通り、悟った後には本色宗師(※注・本来の面目を体得した高僧)を探して印可を受けるという厳正な伝統を立てたのである。 懶翁惠勤と白雲景閑禅師の活躍が目立っているのも事実であるが、看話禅を高麗末に広く普及・定着させた人物は、やはり太古普愚国師である。普愚国師は本分宗旨(※注・本分の事(本来の自己)を獲得して大悟徹底した宗師家、真の禅匠)の家風として、仏を超越し祖師を乗り越えるという禅の教えにしたがい「大蔵経のすべての教えと千七百の公案と臨済の喝と徳山の棒といえども、本分の上から見るときにはすべてつまらないものである」と説破した。 国師は、看話禅の修行をした後、話頭を参究して疑心が途切れないようにし、話頭を打破した後には本色宗師を尋ね、悟った境地についての確認を受けよと教えた。すなわち太古禅師は話頭を参究し、悟った後に本色宗師を尋ね問い、正しい悟りであるかどうかの決択を受けなければならないという看話禅の修行体系を明確に立てたのである。 太古普愚国師が大韓仏教曹渓宗の中興の祖として仰がれる理由は、このような看話禅の修行体系を確立した点と合わせて、中国から臨済宗の正脈を継承し、この法脈が朝鮮時代の仏教を通じて途切れることなく継承されてきたためである。 4)朝鮮時代の看話禅伝承と近世の看話禅再興 看話禅法は普愚国師によりわが国に完全に定着され、これを契機として看話禅は韓国仏教の中心的な修行法として確固たる地位を占めるに至った。普愚国師の禅脈は幻菴混修(1320-1392)、亀谷覚雲、碧溪正心、碧松智嚴(1464-1534)、芙蓉霊觀(1485-1571) 禅師へと受け継がれ、霊觀禅師に至り、再び清虚休静(西山)(1520-1604) 禅師と浮休善修(1543-1615) 禅師の二大禅脈を形成するにいたった。 西山禅師の門下には鞭羊彦機(1581-1644) 禅師と四溟惟政(1544-1610)という二人の巨匠が出、この中で鞭羊彦機禅師の門派が後代まで栄えることになる。この禅脈は再び鞭羊禅師から楓潭義諶(1592-1655)、月潭雪霽(1632-1704)、喚惺志安(1664-1729)禅師へと受け継がれた。 近世に入り曹渓宗 の看話禅風を大きく振興させた方は、鏡虚惺牛(1846-1912)禅師と龍成震鍾(1864-1940) 禅師である。鏡虚禅師は龍巖慧彦禅師の法を継いだ。鏡虚禅師の出現は消えかけていた看話禅の禅風を蘇らせる直接的な契機となった。鏡虚禅師の弟子には水月 (1855-1928)-慧月(1855-1928)-滿空(1871-1946)-漢岩(1876-1951) 禅師のような方たちがいる。龍成禅師は喚醒・志安禅師に法脈を継いだ。看話禅では何よりも法を大切にするからである。こうして喚醒禅師以後、寂寞としていた宗門がこの方々により再び活気を取り戻し、今日に至っている。この方々の禅風はすべて祖師禅に基づいた看話禅の一脈であった。
第3節 わが国の祖師禅の家風
韓国仏教は祖師禅の家風の看話禅の修行が生き生きと息づいている。これは他の仏教圏には見ることの出来ない本当に稀有な点である。(←日本版では、日本の禅についてもエクスキューズしたほうがよい) 曹渓宗では毎年、二千名の修禅衲子たちが百余りの禅院で3ヶ月ごとに夏安居と冬安居に入る。安居とは、禅院で山門の外の出入りを一切控えて参禅精進することをいう。安居の間、禅院の修行者たちの起床時間は、寺刹の起床時間である朝3時、あるいはそれよりも早い朝2時である。起床した後、禅院の大衆たちは竹篦の音に合わせて無言のまま三拝し礼仏を上げる。禅院では、時間に合わせて食事をとる供養の時間とともに、労働の時間である運力のほかには各禅院の清規にしたがって夜9時や10時、または11時まで坐禅精進にのみ没頭する。禅院の精進の時間が異なる理由は、禅院ごとに精進する家風が異なるためである。禅院の精進する家風は普通、三種に分けられる。 第一には一般精進である。これは日常的に行う精進であり、一日に8時間ないし10時間、参禅精進を行う。 第二には加行精進である。これは日常精進に拍車をかけて努力するという意味で、一日に12時間ないし14時間、参禅を行う。 第三には勇猛精進である。これは昼夜、24時間、眠らずに精進するもので、普通18時間以上にわたり参禅を行う。大多数の禅院では全ての大衆が7日間、勇猛精進し、ある禅院では一ヶ月間、勇猛精進することもある。 勇猛精進のほかにも、三ヶ月ないしそれ以上の期間を定め、横になることなく坐禅する長坐禅不臥があり、一人だけ起居することができる独房の鍵をしめたまま門外に出ず、一人で参禅精進を行う無門関修行もある。このような無門関修行は六ヶ月、一年、三年、長くは六年単位で行うこともある。このほかにも十五ヶ月の結社、三年結社などの形態で、全ての大衆が山門の外の出入りを一切禁じ、禅院で一定期間の間精進を行うこともある。 安居が終ると禅僧たちは萬行を離れる。このような禅僧たちを、雲や川の水のように流れる修行僧であるという意味から雲水僧と称する。万行を離れる理由は、安居の期間中、参禅精進により成し遂げた境地を、具体的な生の現場に広げてみることにある。そして明眼宗師(※注・修行者の段階や力量を見抜くことができる指導者)を尋ねて自身の悟りや修行状態について点検を受けたりもする。また万行は様々な生の境界で話頭を始終変わりなく持ち続ける、もう一つの求道の過程でもある。また、ある衲子達は定期的な安居ではない解制の期間にも、持続的に禅院で共に精進したりもする。 わが国の物静かで清らかな山の麓には、あちこちに禅院や小さな庵が構えている。このような所に永劫の闇を明らかにしようとする雲水衲子が集まり、ひっそりと微動だにしないままで話頭一念の坐禅三昧に入っている。また、多くの在家仏子たちも都心の中の市民禅房で話頭を聞き、参禅精進しながら自己の心を明らかにしている。
第2章 看話禅概観
第1節看話禅とは何か?
1)看話禅の本質 大慧禅師は、心を明らかにするのに、「一言の言下にすぐに悟ること」が重要であるといわれた。永嘉玄覚(665-713) 禅師も「悟りの歌」である『証道歌』において、「一言の言葉で明らかに悟り、百億種の法門をふらりと飛び越える」と述べた。 看話禅はこのように仏と歴代祖師により述べられた一言や瞬間的に見えた短い行為の下に百億種の法門を飛び越えてすぐに悟りに至る修行法である。これは真っ暗な部屋に火がともれば一瞬にしてすべてのものを「ぱっ」と明るくする道理と同じである。看話禅はこのように一気に飛び越え、すぐに如来の境地に入って行くことである。 換言すれば、看話禅とは「話頭を看て本性を正しく見る禅法」である。本来の性品を見れば悟るということである。この本性とは誰もが持つ自性である。この本性を見れば悟るということから見性成仏という。 看話禅は釈迦牟尼世尊以来、インドと中国を経ながら自性を悟るための様々な参禅法の中で最も発達した修行法としての位置を占めている。看話禅が優れている点は、心の本来の場所を揚げて見せた禅師たちの様々な話頭を打破し、その場で見性成仏するためである。話頭とは言葉の道と思考の道が絶たれた言葉である。言葉の道と思考の道が絶たれたところで、機根が優れた人は、この話頭を受けるや直ちにその場で悟る。 しかし、大多数の人たちはそのようにできないため、仕方なく話頭を持ち、疑心して入っていくのである。それでは話頭の実例を挙げ、話頭をどのように参究し、その意味は何であるかを見てみることにしよう。 次に紹介するのは趙州(779-897)和尚の「無字の話頭」である。 ある僧が趙州禅師に尋ねた。 「犬に仏性がありますか?」 禅師が答えた。 「無い」 ここで修行者は 「<仏様がすべての衆生に仏性がある>とおっしゃったのに、趙州和尚は <どうして無いと言ったのか?>」このように疑心して入らなければならない。これが無字の話頭を参究する要領である。 話頭はこのように修行者に大きな疑心が起きるようにする。そして修行者の心をひたすら疑心の塊になるようにし、ついにその疑心の塊が「パン」と裂ける境地に導いてくれるのである。 話頭はまた、思惟することのできる全ての出口を徹底して遮断する。もうどうこうできない。それでも座りこむことさえできない。四方が銀山鉄壁で遮断され、一筋の風さえ入ることのできない鉄のカーテン真ん中に立っているかのようである。 肯定もできず否定もできない。これでもだめでそれでもだめだ。それでもまた他の何かを当ててみてもだめだ。到底近付くあてがない。どちらの道も許されない。許容されない。そのため言語の道が絶たれる言語道断であり、心の痕跡すら絶たれた心行処滅である。この場で疑問の塊である話頭がめらめらと生き返える。
2)看話禅では、なぜ疑心をするのか? 看話禅の生命は徹底した疑心を通して悟るところにある。話頭は日常的な分別意識を燃やして自らの本性を悟るようにする。人々の分別意識は自身の色眼鏡をかけたまま対象を見、思惟判断するために不完全きわまりないものである。現実をありのままに見ることが出来ない盲点を持っていながらも、ますますその不完全性に慣れて行っている。 これは我々の日常意識が「わたし」という考えを軸に、世の中をあちらこちらに裁断して見る「はからいの心」により絶えずうごめいているからである。我々が食べて飲んで思量しながら生きて行く理性の構造とは本来そのようなものである。問題は自身の本来の性品がこのような分別意識に覆われ、その正しい姿がはっきりと現われないところにある。ただ分別意識を打破してこそ自身の本性が明らかに現われるようになる。 本来の面目を明らかにしようとすれば話頭を持ち、それと一つになり、切実でしみるように疑心して入って行かなければならない。このように至極に疑心して参究すると、話頭一つだけがくっきりと残るようになる。この時、あるきっかけ(機縁)に会って話頭を打破すれば、ついに自身の本来の姿を瞬時に悟るのである。 これはちょうど、暗黒の中を迷いながら一途な心で目が見えるようになることだけを望んでいた盲人が、あるぶつかったことを契機としてぱっと目が見えるようになることのようである。しかし目を開いて見れば、そのような悟りが自らに本来備わっていたことを確認するのみである。だから新たに得たものも悟ったものもないのである。
第2節看話禅がもつ祖師禅としての特徴
祖師禅と看話禅は、たとえ名称は異なっていても本質的な面では同じ構造である。よって祖師禅と看話禅は時代的な意味が付与され区分された、単なる名前に過ぎないと見ることもできる。歴史的には、そのように分けられただけで、看話禅には祖師禅の精神と理とが、そのまま込められている。ただ修行方法の上で、話頭の参究を強調することにより看話禅と呼ぶのである。そうであるならば、祖師禅が他の修行法と区別される特徴は何であるか? 1)祖師禅の特徴 ① 本来成仏の強調 人は誰でも本来、仏である。宇宙万物がみな本来、仏である。すでに全てがそのままで完成されている。眼に見えるすべてのものが本来、完成されているから仏といい、ありのままが極楽である。ただ、我々が分別妄想に覆われているため、ありのまま本来、仏の場を見られずにいるだけである。本来の仏の場から見れば、我々はその自体として成仏しているため、煩悩と菩提を互いに分けて煩悩を除去する必要がない。 祖師禅は本来、仏の場にいるので、煩悩と菩提を分け、煩悩から煩悩を除去していく工夫ではない。煩悩がそのまま菩提であり、衆生そのままが仏である。 ② 仏の悟りと祖師の悟りは異ならない 祖師禅において祖師とは悟った善知識をいう。祖師と仏の悟りの世界は何ら異なるところがない。祖師の言葉を載せた語録もまた仏の経典のように見なされる。慧能禅師の法が盛られている『六祖壇経』がその代表的な例である。 「仏祖」という言葉とならんで「祖仏」という言葉が広く用いられる理由は、祖師禅においては仏と祖師を同一視しているためである。 ③ 師匠と弟子との禅問答や棒と喝、その他、機縁を通した悟り 祖師禅では師匠が法を説き、大声をあげたり、眉毛を引き上げたり、棒を振り回す行為を通して心を直視して悟る。また、清虚休静(1520-1604)禅師のように、鶏の鳴く声を聴いて悟りを開くこともある。 このような、すべての行為や機縁は、言語と思量を離れ、生きている心の当処をすぐに見せてくれる法門である。それをすぐ見抜く修行者はすぐ悟るようになる。これを「心をすぐ示して (直指人心) 本来の性品を見て悟るようにすること (見性成仏)」という。 ④ 言下便悟の強調 祖師禅の第二祖である慧可禅師は、初祖である達摩禅師が「不安な心を持って来い」と言うや、その場で悟った。六祖慧能禅師も「住(とど)まるところ無しに、その心を生ずるようにせよ(応無所住、而生其心)」という『金剛経』の句節を聞いた瞬間に悟りを開いた。このように、「言下にすぐに悟ること」を「言下便悟」という。他の禅の宗匠たちも、このように禅問答や説法を聞いて言下に悟った。躊躇してはならない。正しく今、この場で言下に直ちに悟らなければならない。 2)看話禅は祖師禅の本来的な精神を回復したものである。 宋代には、祖師たちの禅問答と法語の思索を通して分別し理解する風土が濃くなった。その結果、祖師の言句に独自な解釈を付する頌古文学が流行するようになった。この当時、士大夫たちの中には禅に関心を持ったり、参禅修行する人が増えるようになったが、それにともない祖師たちの間の禅問答を意味と理によって理解し、それを偈頌で表現する傾向が目に付くようになった。これは疑心を起こして悟りに至らせるという本来の意味を喪失し、話頭を思量によって理解する義理禅的な傾向に陥ったのである。 大慧禅師は、このような時代的な弊害に直面し、昔の祖師たちの言葉である話頭を悟りに至るための枠組みとして新たに組織し、「看話」という、より積極的な禅法を世の中に広めた。すなわち、昔の祖師たちの以心伝心の禅問答を悟りの関門という独特な方式で定型化し、このように定型化された話頭を徹底した疑心により参究してゆく禅法を体系化し、活発に定着させたのである。したがって日常の生のことであった祖師禅の禅問答が、看話禅に入ると自性に目を開くようにする活路である話頭として定型化されたのである。まさにこの点が祖師禅と看話禅が形式的ではあるが有する違いである。 祖師禅でも祖師が投じた一言に即座に反応して、すぐに悟ることができない場合には、祖師の言葉を何度も疑心するようになる。看話禅でも瞬間の悟りを強調している。このように祖師禅と看話禅は修行の方法において本質的な違いがあるのではない。 看話禅の成立の意義は、歴代の祖師たちの精神を再び回復することにある。宋代に理として解釈されていた祖師たちの言葉と行為を、歴代祖師たちの本来的な生それ自体として生き生きと取り戻したのである。
第3節看話禅において本来成仏を強調する理由
1)本来成仏とは? 堂々たる大道というものは明るく分明なるものだ。人ごとに本来備えており、それぞれが円かに成り立っている。 『金剛経五家解』「冶父頌」 これは冶父禅師の偈頌であり、「衆生のそのままが仏」という意味である。本来成仏の意味とは正しくこのようなことである。そうであるならば、本当に私が本来、仏であるのか?さらに私が仏であれば修行する必要がないのではないか? 祖師禅では「衆生が修行を通して悟り仏になること」ではないという。衆生が仏になるため参禅するのではないということである。「本来ある我々そのままが仏」だからである。本来自らに備わった性品は修して得られるのではない。修して得られるものであれば、それはこわれるものと決まっているである。また、真理は消失することがないように、本来の性品も失った後にまた捜すのではない。性品はこのように本来から備わり普遍なものであるから本来具足という。本来具足しているかどうかは自らが仏であることを見さえすればよい。 大慧禅師は語る。 よって禅では煩悩を払い落として仏の本性を現わすのではなく、本来、仏である自己の性分を正しく見よと強調する。「君は本来完成している。そんなお前自身を直視しなさい。見よ」このように確認させるのが禅である。ほかに追求するものがない。 この心が正しく本来成仏していることを悟れば、完全な自由の中でことごとに安楽である。様々な妙なる作用とは、外から来るのではなく、それは自らが本来、備えているものだからである。 ―『書状』「答陣少卿」 釈迦牟尼仏も、全ての人は本来、完全に成り立っている仏であることを分明におっしゃった。仏様は「法を見る者は縁起を見る、縁起を見る者は法を見る」とおっしゃった。また、この縁起法は釈迦牟尼仏が発見されたものであり、作り出したものではなく、仏様とは関係なく、この世に永遠に存在するものであるという。だから縁起法が本来、私の内や外や、あらゆるところに、遍く存在しているのである。 『華厳経』(六十巻)「夜摩天宮菩薩説偈品」には「心と仏、衆生、この三つは違いが無い」と説いている。我々の清浄なる心が正しく仏の心であるということである。これを理論的に体系化したのが如来蔵思想である。如来蔵は仏性ともいう。仏性思想は一切の衆生が本来すべて仏性を持っているという教えである。すなわち衆生はその本性が根本的に清浄であるという自性清淨心を明らかにしている。仏性すなわち如来蔵は清浄なる如来法身をいう。 2)どのように本来成仏をあらわすのか? 仏教の修行において、「修行を、仏となる過程として理解して出発するか」、「本来、成り立っている仏という事実から出発するのか」ということは、とても重要な問題である。修行を通して段々と煩悩を除いていく道、すなわち衆生が仏になっていく修行法を漸修法という。部派仏教の禅法と神秀禅師の北宗禅などが、すべてこれに属する。 しかし慧能禅師が継いで来た禅法は「全ての人が本来、仏である」という場に立っている禅である。慧能禅師の禅法である南宗禅は、達摩祖師が伝えた祖師禅の骨髓として、看話禅の核心をなしている。壇経に載せられた神秀禅師と慧能禅師の偈頌を通して北宗禅と南宗禅の違いを見てみよう。 <神秀の偈頌> 身は菩提樹であり、 心は清い鏡。 常に力をつくして磨いて 塵がつかようにしなさい。 心の本性を鏡に喩えている。鏡のように明るい本性の上に煩悩の埃が付いているために悟ることができないという話である。その埃をまめにはたいて磨けば、本当の心に至ることができるというのである。 <慧能の偈頌> 菩提樹は本来無く、 鏡もまた枠組みがない。 仏性は常に清浄だから、 どこに埃のあろうぞ。 慧 能禅師の偈頌は、神秀禅師のそれとは異なった世界を表している。清浄なる仏性が本来具足しているので、それをまさしく悟ればよいということである。また、この心とは形態があるのではなく、本来的に何一つない無一物であり、ここにはどのような塵がつくこともなく、磨かなければならない対象でもないのである。 3)本来成仏であるのに、なぜ修さなければいけないのか? そうであるならば、本来成仏なのになぜ修さなければいけないのか?それは「わたし」が存在するという錯覚に陥り、自らが本来、仏であるという事実を知らず、それを見ることができずにいるためであろう。自身が本来、仏であるということを見ることができないから、その姿を見ようと修行をしているのである。歴代の禅師たちは決して修行しないで仕事なしにぶらぶら過ごせとは言わなかった。修さなければ、そのままただの凡夫であるだけである。よって熾烈に修行することを強調したのである。なぜそうであるのか?修する必要がないと言いながら、どうしてまた修行せよというのか? それは凡夫衆生の現実が、本来、仏である自身の本性を完全に生かし出すことができないからである。しかし、現在の状況はそうかも知れないが、我々の本性がまさに仏であるから我々は命がけで修行をしなければならないのである。ただ、修行をするとしても、私がまさしく仏という場から出発しようというのである。 修行は日常のこの心がそのまま仏の心であることを信じて分別取捨しないことを言う。これは決して造作的な修行ではない。ただ惑った者はそれを信じることができないので煩悩の中で苦痛を受けているのである。あれこれ造作しない心が重要である。よって馬祖(709-788) 禅師はこのようにおっしゃった。 道 とは修する必要がない。ただ汚染されるな。どのようなものが汚染であるか? 生き死にする心で(何かを)取ったり、向かったり、造作するこれらがみな汚染である。道を分かろうとするか? 平常心がまさに道だ。どうして平常心が道であるか? ここには造作も是非も取捨も断常も凡夫と聖人もないからである。 - 『伝燈録』 造作と是非を去るのは「はからいの心」を無くすためのものである。馬祖禅師は「どのように道を修すれば悟ることができますか?」という質問にこのように答えた。「自性は本来清浄である。しかし、<善である。悪である。>という分別の境界に遮られなければよい。このような人が正しく道を修する人である」 善悪に遮られないということは分別や取捨に落ちないという意味である。我々が話頭を参究し修行することも、自身が本来、仏であるという事実を固く信じ、それを体験し確認することである。話頭を聞く事は造作と是非分別をともに無くすところにある。
第4節看話禅はなぜ最上乗法であるのか?
1)看話禅が最上法である理由 看話禅は禅の修行の中で、最もすぐれた修行法という意味で、「最上乗修行法」と呼ばれるが、それはどのようなわけか? 第一に、看話禅は祖師禅の伝統をよく維持しているからである。祖師禅は当時に流行していた止観を通した漸修法を克服し、頓悟見性を明らかにした最も優れた修行法である。換言すれば、言葉と理を去ってまさに人の心を示し、その場で心の真面目をすぐに悟るようにするのが祖師禅である。それで昔の禅師たちは「月を示すならば月を見なくてはならないのに、なぜ指先を見るのか」と述べた。また西山禅師は 『禅教訣』で次のように述べている。 禅は仏の心であり、教は仏の言葉である。教は言葉により言葉のない所に至るのであり、禅は言葉無く言葉の無い所に至るのである。言葉無く言葉の無い所に至れば、それを何とも呼ぶことができないが、強いて名前をつけて心という。 -『禅教訣』 第二に、看話禅はすべてのものをすべて備え、一切の行を成すがそこに捉われることがない。適切にどこにも留まるところなしに心を出すのが禅である。慧能禅師は次のように述べた。 あらゆる法にみな通じ、あらゆる行をすべて備え、一切を離れないながらも、ただ法の模様を去って行為をするが、何ものをも得るところがないことを最上乗法という。 - 『六祖壇経』 第三に、看話禅はこのような祖師禅の精神を忠実に引き継いでいるうえ、祖師禅の最も発達された形態である話頭の参究法により分別意識の流れを遮断する優れた力を持っている。 看話禅は話頭の参究を通して悟りに最も速く近道して行く道である径截門であるという点で、仏教史、禅宗史の上で最も発達した最高の修行法としての位置を占めるようになった。径截門とは「多様な遠回りの方便をすべて断ち切り、根源へとまっすぐに行く最も速く簡明にして適切な道」という意味である。看話禅はこのように、他の修行法に比べて最も正確であり早く悟る禅法だから最上禅法というのである。 大慧禅師は『書状』において「工夫をはじめてから長い時間がかかっても力を得ることができなければ、すぐ簡明に力を得る方法を求めなければならない」と述べて径截門の重要性を強調した。わが国でも普照、真覚、懶翁、太古、西山、鞭羊禅師のような偉大な善知識たちがすべて径截門である看話禅が最上禅の修行法であるという点を明らかにしている。 2)看話禅は誰でも修行することができるのか? そうであるならば、このような最上乗修行法である看話禅は誰でも修行することができるのか?『六祖壇経』には、優れた機根を備えた上機根の人が、この祖師禅の修行をすることができるという。そうであるならば、上機根ではない人は祖師禅や看話禅の修行をすることができないのであろうか? 決してそうではない。機根が低い者とは、自ら迷い外にのみ仏を求めるので自身の性品を悟ることができない者を言う。しかし、このように機根が低い者であっても一気に悟る祖師禅の教えを聞き、外に向いていた意欲をおさめて、この瞬間、この場で自己をよく見たならば、このような人がまさに上機根である。このような人であれば看話禅門に立ち入ることができる。 また禅修行には出家者と在家者の区別がない。老若男女、貧富貴賎も関係ない。この点は慧能禅師が『六祖壇経』で明確に述べている。 善知識たちよ。もし修行することを願うならば在家でもよい。必ず寺にいる必要はない。寺にいても修行しなければ、西方浄土に居ながらも心が悪漢人のようである。在家でも、もし修行すれば東方穢土の人が善を修するのと同じである。自ら院を立て家でも清浄であることを修するならば、そこがすなわち西方浄土である。 ―『六祖壇経』 このように慧能能師は、修行するところに在家と出家、家と寺院の区分がないと言う。どこであれ本当に発心して切実に心を修する事が重要であると強調している。祖師禅の精神を継承している看話禅でも在家と出家の区別がない。 反面、参禅する者の中には時として他の修行法を卑下する場合があるが、これは修行者が最も警戒しなければならない自慢心に陥る道であることを注意しなければならず、肝に銘じなければならない。 よく禅修行者が自慢心に陥る理由は、月と指とを区別できないからである。坐禅ることのみを目的としたり、悟ればいいという見性第一主義は自慢心を育てる毒になることもある。正見を確立し真に発心した修行者は、ただ自己を低める精神だけがあり、自慢心はその影すら探すことが出来ない。すべての傲慢が消え去った修行者の姿こそ、誰もが持たなければならない最も暖かく正しい修行者の品位であり姿勢である
第5節 看話禅から見る見性の内容
自身の性品を正しく見るのが悟りである。すなわち、内と外とが万遍無く明るく、我々の本来の心を明らかに照らし、その本性を正しく見るのが見性である。見性が正しく悟りである。 祖師禅では、悟った者のことを無心なる道人という。見性とは正しく無心を悟ることであり、この無心が見性の内容である。黄檗禅師は『伝心法要』において、この無心なる道人の心について次のように語っている。 無心とは一切の分別の無い心である。そのあるがままの本体は、内的には木や石のように動搖することがないものであり、外的には広い虚空のように、塞がれることも妨げられることもなく、一定の時空も姿も無く、得るものや失うものも無い。 - 『伝心法要』 黄檗禅師は見性した人の心である無心の境地を虚空に喩えている。虚空の姿が悟った者の心である。虚空には増減がなく、去来もなく、生滅もない。それは心では数えることの出来ないほど広大無辺であり、全ての価値判断を離れている。 同様に、我々の自性も本来清浄であり、からりと空いていて万法をその中に抱いている。衆生の心や仏の心や、その中には般若の智慧が具わっており、すべてのものを遍く照らしている。このような智慧の光の中にいるのではあるが、衆生の心は煩悩の雲に覆われて、現われる境界を真実であると執着する。これが妄念である。我々はこの妄念に覆われて清浄である自性を正しく見ることができないのである。 見性して悟るならば、我々はどのようになるのか?『六祖壇経』には、見性すれば無念として生きていくと説かれている。無念とは、思考を元来行うことのない離念のことではない。思考をした後に思考にとらわれないことを無念という。 見 性した道人は、このように考えた後、その思考にとらわれない無念として生きてゆくために、見性をし, できない生とは確然と異なるしかない。見性できない衆生は思考と対象にとらわれ、それに執着する束縛された生を生きてゆくが、見性した道人は真正に自由でありとらわれのない生を生きてゆく。 悟った者は、いつどこでも自由自在な人である。彼は「私」と「あなた」を分別する自己像が無くなり、一日中、暮らしていても、そのことにとらわれることがない。悟った者は、決して奇想天外な道力や神通力を操ったり、周辺の環境や外部の条件を思うままに変えることが出来る力を持った人間ではない。彼も普通の人々のように食事をし睡眠をとり行動する。しかし彼の生は、見性する前後では眼目が異なるため、普通の人々とは異なるしかない。生と世界を眺める目が異なっているためである。
第3章仏の教えと看話禅
第1節話頭の参究は具体的にどのようにするのか?
話頭に対して疑心を起こし、心の中で醸成していくことが話頭を参究するということである。疑心が透徹するようになり、ただ疑心だけで「ぎゅっ」と塊になった状態でこそ話頭がよく聞こえる。どのようにすれば切実な疑心を起こして話頭を聞くことができるか. このごろ最も多く行う「無字」 話頭と「これは何か?」話頭を例にあげて説明して見よう。「無字」話頭は「無」の前に全提を付けて入ろうが、そうではなければ少し漠然とではあるが「無」そのままとして入る。全提とは話頭に対する全体の内容を言う。 ある僧侶が問うた。「犬にも仏性がありますか?」趙州は「無」と答えた。仏は「すべての衆生に仏性がある」とおっしゃったのに、趙州はなぜ犬に仏性が無いと言ったのだろうか? 前 に挙げた引用句が「無字」話頭に対する全提、すなわち全体の内容である。一方で単提は「無」または「どうして無と言ったのだろうか?」と刻むことである。参禅を始める時、初めには全提と単提を交ぜて使うが、少し慣れてくると全提が不必要となる。熟達すると単提の中に全提がすべて入るようになり、自然に単提になってしまう。 参究の要領はこうだ。 「犬にも仏性がありますか?」 「無い」 「どうして無いと言ったのか?」 「どうして無いと・・・?」 「どうして・・・?」 「これは何か(是甚?)」という話頭とは次のようなものである。 「飯を食べ服を着、喋り、見、聞く、このもの。いつ、どこで、昭昭霊霊なる主人公が、このものは何であるか?」「心でもなく、仏でもなく、一つの物体でもない、これは何か?」 「父母未生以前の私の本来の面目とは何か?」 「この体を引き回しているこのものは何であるか?」 「こ れは何だ?」という話頭は、前に挙げたさまざまの中、一つだけを選んで疑心をつくればよい。もう一つ、付け加えると、全提を通して話頭を聞く時は、一つの全提だけを挙げなければならない。もちろん、その全提の間に優劣の違いはない。一つだけ選んで一生懸命、聞けばよい。単提だけ挙げながら、「これは何だ?」という時は、「この」を若干、長くしながら心の中で「これー」という、このものが「何だ?」として疑心を起こしたり、そうでなければ少し漠然としているが「これーなーんーだ?」と言いながら、疑心を長く切実に持ち続けることも要領である。すなわち全提は簡単にして、それが妄想の根源にならないようにしなければならない。 疑心がよく出てこない時は、何度も全提を探り、「この屍を動かしているもの、これが何だ?」と、絶えず話頭をつくっていくしか他に妙策がない。絶え間なく密密と懸命に参究して行かなければならない。 このように話頭を参究するためには切実かつ至極な心を持たなければならない。砂漠で喉の渇きを感じて水だけを考えるように、一人息子を戦地に送った未亡人が寝ても覚めても子供のことだけを思うように、話頭一つだけを参究する切実な心がなければならない。そのような切実な心は自身の全生命をかける時に生ずる。このように切実に話頭を聞いて見れば、ある日ふと真正な疑心が起きて、話頭がありありと現前するのである。こういう時、心はたちところに静かになり、煩悩や妄想も自然に消える。 まことに命をなげうって一つの考えだけに集中して行かなければならないところに、この工夫の困難さがある。自身が本来、仏であることを徹底的に信じ、脇目を振らず、過去のすべての善知識もすべて私のような状態から出発したのだから、自分も熱心にさえすれば間違いなく豁然と大悟して見性成仏できるのだという、徹底的な信頼をもって精進して行かなければならない。
第2節大信心・大憤心・大疑心を持たなければならないわけ
高峰原妙(1238-1295) 禅師は『禅要』で、話頭を工夫する人は「大信心・大憤心・大疑心」という3つの要素を持たねばならないと強調した。
(1)大信心とは 第一に参禅者は話頭に対して大きな信(大信心)を持たなければならない。この信は、話頭工夫をすれば必ず一大事を悟ることができるという堅固な信であり、決して搖らぐことがなく工夫して行こうという姿勢を言う。懶翁禅師は次のように述べた。 この一大事を必ず悟ろうとするならば、当然、大きな信を起こし、堅固な意志を立て、以前に学んだり理解した仏と法に対する見解を一掃して、海の中に掃き尽くしてしまい、これ以上ふらふらするな。 - 『懶翁語録』 大きな信とは、自身が本来成仏しているという信である。私と仏はどんな違いもない。たとえ姿と現われた能力に違いがあるといっても、本来清浄な仏性は異ならない。 私自身は仏の心と何ら違うところがない。仏の心は虚空のように永劫に変化せず絶対、損傷されない。減ったり増えたりしない。それはどんな強圧と誘惑にも、揺らいだり、奪われたり、分けられたり、垢がついたりしない。たとえ智慧がないために瞬間的に愚かさに陥り、世の中から烙印を押され悲惨な境地にまで落ちたしても、自己の本性はかつて垢がつかず清く明るい姿である。私自身は本来より円満であり具足した真理の主人公なのである。 自身は真理の主体だから、果てしない智慧と勇気と徳性が充満している。志したところ(志を)を具現することができる智慧と能力をふんだんに備えている。どんな苦難にも挫折せず、どんな状況にも希望を燃やす不屈の勇気がそこから出る。 このような大きな信を出し、それが須彌山のように搖らぐことがないからこそ、不屈の精進力を起こすことができる。さらに話頭を打破して豁然と大悟することができるという確信を持たなければならない。
(2)大憤心とは 第二には大きな憤心(大憤心)である。大きく憤る心とは何か? 話頭は、仏と祖師たちが自身の本来の面目を目の前に現してみせたものである。過去の祖師たちもここで自身の本分を回復して大自由人になった。 ところで今の私はどのように暮しているか? 過去の祖師たちに比べて何が足りないから私自身を直視することができないのか?それでも自からおごり高ぶり、愚かさが絶えず、羞恥も知らず、前後が変わった現実に縛られているとは、本当に痛ましくて悲しいことではないか? 自身が本来、仏ではあるにもかかわらず、自らを衆生と思いこみ、衆生の役割を甘受して、一日一日を生きて行る。無始劫の間、我々はこのように生きてきた。そうであるならば、いつになったら私の本来の面目を取り戻すことができるというのか?なぜ私の心の中の燦爛たる太陽は覆われて外に向けて闇の中をさ迷っているというのか? 今まで私はこの身体が、したい通りにして来た。舌先に迷わされ、食べたければ食べ、寝たければ寝、つまらない欲心を満たそうとして、ほしければ何でも所有しようと思った。また私の利益と名誉のために私と人を分け、是非分別を事として傷を与え合ってきた。このように我々は本来の面目を忘れ、錯覚に陷って欲心を出し、愚かに生きてきたのである。 しかし既に幸いに禅修行の道に入り、煩悩と愚かさを直視し大自由人として生きて行く一大事因縁に会った。この話頭の工夫こそ、私の暗かった過去の生と現在の無知を断ち切る吹毛剣なのである。 参禅修行者は話頭を参究することに、このように自責の念で激しく込み上げてくる大憤心が、かっかと燃え立たなければならな
(3)大疑心とは 第三には、大きな疑心である。大きな疑心とは話頭を徹頭徹尾、疑心することである。話頭はどんな方法によっても、つかまえて見ることができず形容することもできない。ないことでもわからず、あることでもわからず、つかまえることもできず、おくこともできないものだから、修行者はここに至り専心して全力を傾けて正面から勝負をするしかない。話頭修行で疑心するというのは、まさしくこのような時の心の状態を言う言葉である。 仏とすべての祖師た ちは、法を話頭という形態で我々の目の前にはっきりと見せてくれた。このように仏祖は、私にある本来のものを目の前に明瞭に見せているのに、私はどうして見られないのか?確かに私にあるこの道理を明確に話頭として明らかにしてくれたのに、どうしてわからないのであろうか?なぜ, どうして分からないのか? このようにして大きな疑心が湧き出れば、全身、全ての思考が一つの話頭の塊に変わるようになる。話頭で横になり話頭で眠るようになれば、「つまりこれが何の道理であるか?」という一念が絶えないようになり、清く静かではっきりとした疑心が目の前に現われる。このように為されるところで力を得るようになれば、ついに修行にとって好機が訪れたということである。疑情のない話頭の工夫は決してありえない。 大きく疑心してこそ大きく悟るのである。切実に疑心することを大きな疑心すなわち大疑と言う。それは疑心する「私」がなくなった場で爆発する根源的な疑心である。この大疑が機縁に会って遂にその大疑が打破される時、修行者はひとしきり大きく死に、天と地が新しくなるのである。
第3節疑情、疑団、打成一片、銀山鉄壁とは?
無門懐海禅師は次のように述べた。 祖 師の関門をくぐろうとする人はいないか?三白六十個の骨折と八万四千個の毛孔で、全身をすべてあげて疑団を起こさなければならない。無字を参究するが、この無字を夜も昼もいつも参究しなければならない。「虚しい」と言う意味でも理解せず、「ある」「ない」と言う意味でも理解するな。まるで熱い鉄の塊を飲み込むようなもので、吐いて吐いても出ないようにして、今までの誤った「はからいの心」を全部無くさなければならない。このように倦まず弛まず続けて工夫が熟せば、自然に身と心が無字の話頭と一固まりになって打成一片を成すのである。これは、まるで唖が夢を見たが、ただ自分だけ知っており誰にも言えないことのようだ。 このようにして忽然と話頭が裂ければ、天地を搖るがす勢いが生ずるのである。これはまるで関羽将軍の大きな刀を奪って手に取り上げて、仏に会えば仏を殺し、祖師に会えば祖師を殺すこととようだ。そして生死の丘でも大きな自由を得、衆生の生の中でも遊戯三昧を楽しむことができるのである。 ―『無門関』 第一則 (1)疑情 話頭に正しく入って行くためには必ず疑心を起こさなければならない。話頭を聞くと「どうして犬に仏性がないと言ったのだろうか?」、そして「どうして仏法を乾いた糞の棒と言っただろうか?」として、切に疑心をして入って行かなければならない。頭で疑心するのではなく全身で疑心しなければならない。故に無門懐海禅師は「三白六十個の骨折と八万四千個の毛孔で全身をすべてあげて」疑心しなさいと言ったのである。 話頭に対して疑心を生じ至極な態度で切実に疑心を参究してみると、ある瞬間、その疑心が途切れなくなるのであるが、これを「疑情」という。疑情とは簡単に言って、話頭に対する疑心が純一になり、その疑心が自然に起きる状態を言う。意識的に努力をして疑心するのではなく、その疑心が一種の感情のように持続することである。 このように疑情に入れば、無理に話頭を疑心しなくとも自然に話頭の中に没入するようになる。疑心しなくても自ずから疑心になり、話頭を聞かなくても自然に話頭が聞こえる。それで蒙山徳異禅師は「疑心が深くなれば話頭を聞かずとも自然に話頭が現前する」と言った。 (2)疑団、打成一片 話頭を一生懸命に疑心して入って行ってみると、疑情が一つの塊になって団結するのであるが、これを疑団という。疑心の塊として固く団結したのが疑団である。それで後にはこの疑心の包みである疑団だけが一人で現われるようになる。これを「疑団独路」という。この疑団が独路になるようになれば、話頭と私が一つになりお互いに分けられずに一つの身を成す。疑心の塊が火玉になって他のものが割りこむ隙間がない状態である。このような状態を「打成一片」という。話頭がはっきりと一切れを成すことである。打成一片になれば、無意識的に推し量る習慣や計算し比較する事を離れ、千差万別の事物と融合して一つを成すようになる. 黄檗禅師は無字の話頭を聞き猛烈に参究して、「日が行き月が行って見れば、ある瞬間に打成一片となり、忽然と心の花が咲き始めれば、仏と祖師たちの境地を悟るようになるのである。」と述べた。これは梅香が香ばしくなろうとすれば厳冬雪寒(雪の降る極寒期)を耐えるようなものである。このような時代を黄檗禅師は次のようにうたった。 煩悩妄想を脱する事は日常のことではない。 話頭をぐっと取って、ひとしきり競って見なさい。 骨身にしみる寒さの味が分からなかったら 鼻を打つ梅の香りを得ることができようか。 ―『黄檗断際禅師宛陵録』 話頭の修行が、このように疑情の段階から疑団に移り、またそれが打成一片になる具体的な過程を見せているが、疑情と疑団、打成一片は語録によって同じ概念で使われる時もある。 (3)銀山鉄壁の透過と悟り 疑情が純熟になると、銀山鉄壁のようになり、思惟の全ての出路が遮断される。博山禅師は、ただ銀山鉄壁を打破した時にのみ、悟りへと進むことができることを強調している。 銀山鉄壁とは、堅固で堅くて険峻なために、くぐって出るとか飛び越えにくい境界を指す。それは話頭に対する疑情が純熟となり、左にも右にも今にも後ろにも出ることができない、代案のない切迫した状況を意味する。銀山鉄壁は銀で作った厚さがわからない鉄壁を言う。その鉄壁が前後左右の四方を塞いでいる。それで一歩たりとも進退ができない。 このような銀山鉄壁をくぐって出てこそ、初めて明るい消息が来る.
第4節話頭を参究することと話頭を観ずることの違い
(1)話頭を参究することと観ずること 話頭を参究することと観ずることは確実に違う。話頭を参究することは、話頭に疑情を起こすという意味であり、観ずるということは話頭に精神を集中するという意味である。話頭は参究しなければならず、ただ集中ばかりしていても真正な疑心は起きにくい。参究とはひっそりと疑情を成した状態で絶えず続けるということである。これに対して観とは、ある現象や事物をありのままにずっと集中して観察するという点で、両者には大きな違いがある。 話頭を観ずるならば、観ずる私と観察される話頭とが互いに分けられるようになる。このように主客が分離した状態で話頭を対象化して観ずるならば、それは話頭を参究するのではなく、話頭に付いて行きながら観察することである。私という主観と話頭という客観が分けられれば、私と対象、主観と客観、私と話頭が分離してしまうのである。そのため話頭を観ずるということは、構造上、相対的な立場に立っているという点を否定することができない。 もちろん、このような観を通して精神統一をすることはできる。浮き立った心をとり除き精神を統一して明瞭な境地に入ることはできる。しかし、それは話頭と私が一つになる話頭三昧ではない。あくまでも私の意識に映った相対的な境地なだけである。よってそのような境界に照らされた対象は、私の意識の中に浮び上がった対象であって純粋な姿ではない。 それはすっかり主客を脱していないため徹底することはできないのである。 話頭の参究は主観と客観、私とお前というすべての二分法的な境界を飛び越えなければならない。そうでなければ、対立的な分別意識から完全に脱することができない。百尺竿頭進一歩という言葉がある。百尺にもなる長い竿の上で一歩を踏み出さなければならない。根源に至り、根源さえ飛び越えてこそ自由自在であるという言葉である。 (2)なぜ話頭を観じてはいけないのか? 祖師禅を定立した六祖慧能禅師は、坐禅をする時、看心と看浄をすることは過ちであると批判した。要するに頓悟見性をなそうとする際、心を見るとか、きれいなもの見ることさえ障害になるというのである。一切の対象化された観法は正しくないということである。 慧能禅師は、心を見ようと思うとか、あるいはきれいな心を捜そうと思ったら、公然と「きれいな心」という妄想を起こすようになることを警戒している。また、その捜そうとする心自体が妄想であるという点を指摘する。これは瞳が瞳を見られない理(ことわり)のようだ。心を持って心を捜したら、心を捜すことができないのみならず、その捜す心自体が妄想である。 よって大慧禅師も「心で心を休めることはできず、心で心を止めることはできず、心で心を作用するようにすることはできない」と述べた。それはもう一つの心を作り対象化するからである。もし、きれいな心を捜そうとしたならば、却ってきれいな心と虚妄な心の分別心に陥り、対象化された心に陥るようになるのである。心を対象化し観じるならば、慧能禅師の指摘のように、分別された心、相対的な心になってしまうのである。
第5節話頭が聞こえない時、呪力や誦話頭、念話頭をしてもよいか?
話頭の工夫の要諦は、手探りして模索するする道がない話頭を参究して切に疑心を起こし、それを打破するところにある。どんな理性的な思惟の道を少しも開けておいてはいけない。思惟が徹底的に遮られた状態で、話頭を疑心して入ることである。このように疑心しなければならない話頭を、念仏するように念誦したとしたら、これは話頭参究の本道を逸脱することである。したがって、話頭が聞こえないとしても、呪力や誦話頭または念話頭をしてはいけない。 誦話頭とは、「これは何か」、あるいは「無」字の話頭を声を出して絶えず唱えることをいう。例えば、「これは何か」、「これは何か」、「これは何か」、「これは何か」とか、「無」、「無」、「無」、「無」、と言いながら何の疑心もなしにずっと唱えることである。 そして念話頭は、「これは何か」や「無」のような話頭を、声を出さないで心の中で唱えるものである。趙州の無字の話頭を聞く時、何らの疑心なしにただ「無!」「無!」を繰り返して参究することである。しかし、声を出すにせよ出さないにせよ、看話禅から見る時、それは誤った方法である。いくら道を行く時も「無」、座る時も「無」、服を着たりご飯を食べる時も「無」、いつも「無」と言っても、これは正しく話頭を参究する方法ではない。しかも「無」を思惟だと思ってはもっとだめな事である。 呪力は「オ ンマニパンメフーン」や千手陀羅尼, 楞厳呪などを唱えることである。このような呪文は仏の神妙な言葉だから、これを唱えて力を得たりする。しかし、看話禅では、ただ話頭だけをひたすら疑心しなければならない。発心がきちんとできなかったとか、話頭の参究法をよく分からないために話頭がよく聞こえず、このように念話頭や誦話頭、あるいは呪力をして得力した人々もいることはいる。 しかし、話頭参究の生命は疑情を起こすところにある。もし疑情が起きなかったならば話頭参究とはいえないのである。たとえ、雑念なしにずっと唱え続けて話頭に持続的に没頭できると言っても、そのような方法では絶対に話頭を打破することができない。疑情なしには誦話頭、念話頭、そして呪力に没頭する人々は、きちんと発心が起きない場合が多い。
第6節 死句と活句
西山禅師は「学ぶ者はすべからく活句を参究することであり、死句を参究してはいけない(『禅家亀鑑』)」と述べた。この点はあらゆる禅師が強調したことである。看話禅の核心は話頭を聞いて(に入って)活句を参究することにある。活句は生きた言葉であり、生き生きとした言葉である。「はからい」が付かない言葉ゆえにそうだ。一方、死句は空言であり、死んだ言葉である。分別が染み着いた言葉だからそうだ。死んだ言葉では決して悟りの世界に入って行くことはできない。普照禅師は「死句を参究すれば私の身一つも救うことができない」と言った。 凡そ話頭を工夫する者は、すべからく活句を参究することであり、死句を参究するべからず。活句で悟れば永劫に忘れず、死句で悟れば私の身一つも救うことができない。 -『看話決疑論』 それならば、死句と活句を区別する基準は何か?活句とは全ての妄想と分別意識を超越した仏と祖師方の、簡明かつすぐに悟りに至る機縁や言句を言う。すなわち、活句は言葉と思考の道が絶えてしまい、依りかかったり、手探りして見るに値するところどこにもない言葉と思考の当処である。それは当処であるが、味もにおいも模様もないがらんとした当処である。 このようにしてもだめ、あのようにしてもだめであり、左に行っても正しくなく右に行っても正しくなく、それだからといって沈黙でも通じることができない。心の道が絶えたこの活句は八万大蔵径の教理やどんな思想や哲学的模索で及ぶことができない。活句は今この場でいきいきと生きて動いている本来の面目の言語的な存在方式である。 言葉の影が盛られ、分別の気配が入りこんでいれば死句である。言葉に随って行けば死句、すなわち死んだ言葉である。取捨が残り分別の材料を与えたり、他人の見解に振り回されるからである。思考の道が生きている言葉を追って悟ると言ってもそれは思惟形態として理解する悟りであり、断じて真正な悟りということはできない。これを悟りと言うとしたら大きな錯覚である。生の当処は言語や思惟的な省察では経験できない。これにより、死句によって悟れば私の一つの身も救うことができないと言うのである。 話頭が活句になれず、様々な理論と観念の枠組みに隷属すれば、すぐに死句へと転落してしまう。世の中には立派な言葉と文章が数えきれないほど多くあるが、それらが理論に陥り、分別作用にかかる限り全て死句になる。全ての理論と観念の枠組みは根源的な疑心を妨害する「はからいの心」である。 注意しなければならない点は、たとえ活句でも参究する人によって死句になる可能性があるということである。話頭を参究した後、分別心で考えたり、疑心無しに聞けばそのようになる。結局、疑心がない話頭や疑心がまともにできないような話頭は死句でしかない。
第4章看話禅の基礎修行
第1節看話禅で正見を重要視する理由
仏の教えのまま発心した人であれば誰でも看話禅の修行をすることができる。正見を具え真正な発心と信心が具わっている明眼宗師であるならば、予備段階や基礎修行の必要なしにすぐに看話禅の修行に入って行っても良い。 しかし、仏の法に対する正見と発心にならない状態では、いくら話頭を参究し、労をつくしたとしても、その話頭に切実な疑心を起こすことができない。ゆえに初心者は話頭を参究する前に法に対する正しい眼目を具え、真正なる発心をして不退転の信心と大きな願力を立てなければならない。 正見と は法による正しい価値観の樹立をいう。それは中道 縁起から眺める正しい世界観、人生観の定立である。それでこそ、「仏教とは何であり、どのような教えであるか?」、「なぜ工夫をしなければならないのか?」、「なぜ修行しなければならないのか?」といった仏教の修行者が具えなければならない基本を忠実に備えることができる。 一人の旅人が道を歩いている。彼が道を行く目的は何だろう?目的が確固として行く道が分かったら旅人は躊躇なしに堂堂と道を行くことができる。 西山和尚の偈頌に次のような句がある。 雪降りし野道を歩く旅人よ うろうろと歩く勿れ 今日、君の足跡は 後日、後人の道しるべとならむ。 雪に覆われた広野とは生の現在の状況をいう。その雪に覆われた広野で、どの道を行っても目的意識を持ち、きちんと歩いて行かなければならない。あちらこちらにうろうろとしていていはいけない。正見の確立は、それゆえ重要なのである。この正見に基づいて看話禅に入って行く時、迷うことなくすぐ歩いて行くことができる。 正見の確立は仏教の核心的な教えである縁起・無我・空・中道に対する理解から出発する。このような教えは仏が発見し説かれた真理である。これに対して正しい認識があってこそ修行者として行く道が明確になる。これをきちんと認識すれば修行せざるを得ず、その修行者の生の目標も明らかになる。すなわち、何を悟り、どのように実践しなければならないかが、明瞭になるということである。 縁起と無我に対する正しい理解を具えれば、それを自己の生を通して実践して行かなければならないという切実な念願が生ずる。そのため縁起と無我に適合するように思考し行動し、これが人格化される道を開いて行く。看話禅を含めたあらゆる仏教の修行はこのように縁起法を人格化し内面化するための道である。法すなわち真理を確認しその真理のままに生活するのである。そうなれば、ついに法が自身と一緒になり、私の歩く道がそのまま真理の道になる。そのような時には、どんな障害にも捉われず犀の角のように一人で行くことができる。 さらにこのような人の足跡は、後日にまたその道を歩く人々の立派な亀鑑となるのである。
第2節看話禅の基礎修行は、どのようにしなければならないか?
悟ればあらゆる境界に直面しても捉われることがない。捉われることがない道人になるのである。どこにも捉われない本来の面目に対する確信と、それを分かろうとする熱望が一杯な時、発心が成り立つ。「本当のものとは何か?」という切実な心があってこそ真正な自分を尋ねる参禅の道に出ることができる。それでは発心と関連して基礎修行には何が必要なのかをいくつか話して見よう。 第一に、発心の要素で最も重要なことは、自身が本来、仏であるという確固たる信である。それでも現在の自分はそのような本来の姿とは関係なく苦痛の中で迷っているという冷情な自己反省がなければならない。ゆえに、これからは必ず自分の本来の姿を捜さなければならないという切実で哀切な心が、炎のように燃えなければならない。このような時、話頭が聞こえてくる。 第二に、慈悲・智慧・願力を抱いて暮さなければならない。苦痛の中で呻く衆生を救済するという同体大悲の心は大乗菩薩の心であり仏の心である。世の中が痛みに苦しんでいるから、この世の中の痛みを癒すために修行するのである。それは、とりもなおさず私の痛みだからである。さらに、そのような痛みから脱けだすためには智慧の目が開かれなければならない。願力とは、必ず悟りを成就し智慧の目で慈悲を実践するという果てしない誓いである。この三種の心は修行に入る前に必ず具えなければならない基本要素である。 第三に、決して曲げることのない精進力を育てなければならない。話頭の参究において真正な疑心を起こすのはたやすいことではないので絶え間ない努力が必要である。簡単に挫折することなく絶えず話頭を聞こうと切に努力しなければならない。このほかに方法は存在しない。そうしていると、いつのまにか話頭が聞こえ始める。このためには退くことがない不退転の精進力を育てて行かなければならない。 第四に、看話禅に入るのに先立ち、仏が説かれた因果の法則を深く信じ悪業がもたらす次の生を思い正しく暮すように力をつくさなければならない。それゆえ言葉、行動、思考の一つ一つが正しく明るく柔らかくなければならない。潙山霊祐(815-891)禅師は、「声が穏やかならば<こだま>は順調で、姿が端麗であれば影は端正である」と述べた。死の入り口で自らが造った悪業を恐れないためには、善い心を持ち、不断に精進しなければならない。すなわち、戒律に対する徹底的な認識と実践を具えなければならない。さらに話頭を通して見性できなければ、世世生生、永久に業の網に捕らわれ因果応報に束縛されてしまうのに対し、話頭を悟れば因果から脱して自由になるという点を肝に銘じてほしい。 第五に、話頭と参禅法に対する正確な理解がなければならない。話頭とは何であるか、話頭をどのように受けて参究しなければならないか、話頭修行をしながら生ずる禅病は何であり、それをどのように管理して治めなければならないかなどに対する、正しく纎細な理解が重要である。そうしてこそ話頭修行で自身の本来の面目を発見することができるという確固たる信頼が生ずる。 第六に、最も重要なことが正見の確立である。 発心が確固であったり、このすべてのものに対する条件を十分に具えた修行者は、すぐ看話禅門に入っても構わない。しかし、前生にこの修行門で無数に修行を経た上機根ではないならば、大きな発心を出すための前段階である基礎修行が必ず必要であることを知らなければならない。
第3節看話禅において正しい世界観を重要視する理由
1)仏教の世界観、中道・縁起・無我・空 仏教は仏の悟りから始まった。よって、仏が悟った縁起法である仏教の世界観、人生観、価値観はどんな形態の仏教であれ、必ず維持しなければならない核心である。看話禅も同様である。仏と祖師の悟った世界は異ならない。看話禅といっても他の世界観や価値観があるのではない。看話禅が卓越した修行であるというのは、まさにこの場で悟りを実現するからであり「悟りの境地」が違うからではない。 仏は「縁起を見れば法を見る、法を見れば如来を見る」と言った。これとあれ、俺とお前、善と悪、地球と宇宙が互いに依存しながら無我として存在するというのが縁起法である。一粒の砂の中に全ての宇宙が入っており、一叢の美しい薔薇が咲く時、宇宙も一緒に咲き始める。 縁起の道理が開かれる場は、すべての存在が無に開ける場である。すべての存在が「孤立した私」にだけあったら「私」の中にはどんな「お前」も入って来ることができない。生が無我として顕現する時、縁起法が生き返り、「私」と「お前」が互いに私の場を守りながら一緒に一団となった全体になるのである。 縁起の世界の本当の姿は、「俺だ・お前だ」、「ある・ない」、「好き・嫌い」、のような相対的な世界とすべての「これ」と「あれ」を同時に離れているので中道とも言う。初期仏教と大乗仏教の核心は、まさにこの「中道縁起」である。俺とお前が独立した実体ではなく関係の中に存在し、お前は無条件に悪く私は無条件に良いという形で、お互いに対立せず調和した全体を成すために中道なのである。この縁起・無我・中道を、より躍動的に表現したのが空思想思想である。『金剛経』『般若心経』の核心が、まさに中道縁起である空なのである。 空とは清浄な虚空のようなものである。清浄な虚空は増えたり減ったりせず、生じたり滅したりしない。不増不減・不生不滅である。我々の存在自体がそうだというのである。これを直視しなければならない。 2)祖師禅は中道縁起を最も確実に見せる宗派 祖師禅は仏の核心思想である中道縁起を最も忠実に体験し継承した宗派である。また祖師禅に根ざした看話禅は、話頭を通してこのような中道、縁起の理を心と身で最も早く悟る修行法である。 仏は存在の実相、その世界の本当の姿を縁起であると説明した。従って縁起は普遍的な真理であり宇宙の存在原理であり生の現実である。非縁起的な思考や行為は、虚構であると同時に虚像である。すべての虚像と虚構から徹底的に目覚める道が参禅である。よって喝や棒のようなものもそれである。反射として登場するのである。臨済禅師の活溌溌地(※注・禅者の溌剌として活気に満ち溢れたはたらきのさまを、魚のぴちぴちと水間に躍るさまにたとえていったもの)な禅風が正しくここに由来する。 すべての存在の土台が縁起法であるという事実に明確に目覚めるようになれば同体慈悲の実践行が自然に流れ出るようになる。縁起的な悟りとは「私」と「他人」を分ける垣根が崩れる瞬間だからである。禅修行者は、このような世界観と価値観が確固として立ててこそ、中道正見に対する理解とこれによる実践が必ず伴っていなければならない。 仏法に基づいた世界観が定立されない禅修行は、ひょっとすると神秘主義、機能主義、禅定主義、ひいては単なる養生術に転落する可能性がある。また、生の質を変化させることができない禅は、悟り至上主義に陥り、悟り自体を道具化したり対象化する危険もある。仏法に対する基礎的な理解さえ持つことなく深い山の中で無条件に座ってさえいたとしても、それを看話禅の修行者であるということはできない。
第4節 看話禅の修行に先立って敎を理解しなければならない必要性
西山禅師はこのように述べた。 自ら工夫の始めと終りが分かった後、教学を止めてしまい、目の前の一つの考えをつかまえて纎細に参究すれば必ず所得があるであろう。これがいわゆる、束縛された身を脱して住む道である。 -『禅家亀鑑』 捨教入禅という言葉がある。文字通り「教えを捨てて禅に入る」という意味である。教とは経典をはじめとする文字になった仏教の教えを大まかに指す言葉である。「教を捨てる」ということは、西山禅師の言葉のように、教を充分に理解した後にそれを下ろすという意味であり、はじめから「教を無視したり拒否する」という意味ではない。 仏は悟りの境地を言葉で表現したのが教なら、仏が悟った心を言葉を用いずに現わしたのが禅である。教とは譬えるならば、山に登る地図のようなものである。禅は山を踏んで頂上に登るようなものである。もし教に対する徹底的な理解がないままで禅修行に入って行くならば、地図なしに高くて険しい山を登る人のように、危険な結果を招くこともある。教は正見を立てるのになくてはならない教えである。 一方で教学を理解した後には、全てを置いてしまってすぐに禅修行に入って行かなければならない。地図だけ見て山に登ったと言うことはできないように、教学にだけ執着して見ると、月を見ることができず指だけを眺めることになってしまう憂慮がある。 西山和尚は「何も言わないことで何も言わないところに至るのが禅であり、言葉により何も言わないのに至るのが教である。」と述べた。しかし「何も言わないことで何も言わないところに至ること」はたやすい事ではない。たとえ禅修行者であると言っても、はじめからむやみに禅の世界に入って行こうとすることは危険なことであると言える。「薬が必要ない」と言うのは病気ではない人に該当する言葉である。病気にかかった人には薬が必ず必要である。参禅する人々にとって経典と語録は、盲人の杖のように必ず必要なものなのである。 「何も言わないことで何も言わないところに至るのが禅」であるといわれたが、大蔵経にはおびただしい分量の禅語録が含まれている。この禅語録には、どのようにして禅に入ればよいのかに対する細かな指針が記されている。このように多くの禅語録が出現したことから推して見る時、禅と言ってもはじめから言葉を去ることができるのではない。重要なのは言葉にとらわれるなということである。言葉の無い境地は、究極的には自己の本性を体得した境地である。 しかし、仏がおっしゃった法に対する理解だけでは仏が悟った真理の世界に入って行くことができない。その世界は言語を離れ、分別を離れている世界であるためである。水の味はいくら説明を聞いても直接、水を飲んで見なければ分からない。自転車に乗る方法をいくら聞いても、それだけでは自転車に乗れるようにはならない。実際に何度も倒れながら乗ってみてこそ自転車に乗ることができる理のようだ。真理の世界を見ようとすれば、必ず直接体験しなければならない。理がこのようであるから、修行者は教を学んだ後にはそれを置き、禅を体験する「捨教入禅」をしなければならない。
第5節看話禅の修行と戒はどのような関係であるか?
1)禅と戒の関係 戒・定・慧の三学は仏教の修行の核心である。よって西山大師は「戒が完全で丈夫であってこそ禅定の水が清くたまり、そこに智慧の月が現われる」(『禅家亀鑑』)と述べた。仏は「道は家であり戒は基礎である。修行の根本は戒だ」とおっしゃった。『禅苑清規』でも禅修行者は必ず戒律を守らなければならないと強調している。 看話禅の修行者だと言っても戒律を無視しても良いという考えは危険である。ただ中国の禅院では自ら自給自足する生活をしなければならなかったから、禅院生活に必要なことに対して戒律にない事項を別に清規として定めておいただけである。潙山禅師は「仏はまず戒律を定められ、発心したものたちを導いてくださった」と言いながら、禅修行者は戒律を徹底的に守ることを要請した。 2)悟れば戒は完成される 悟るようになれば戒・定・慧の三学が自然と完成する。悟った者の生は戒に背くことはない。道共戒と言う。道を通して仏のようになれば戒がそのまま従うようになる。参禅修行と戒行はともに完成されるのである。そのようになれば自然に身と言葉と行動が熟して、いささかも行き違うことがない。 これと関連して慧能禅師も、無念になって見性すれば定・慧が分けられることができないと言った。修行を通して無念の境地に至れば戒・定・慧の三学は具足されるものなのである。 『六祖壇経』の言葉のように、祖師禅では戒とは本来、誤ることがない自性の活溌溌地な生の姿(心地無非自性戒)である。慧能禅師は「清浄なる戒行を持つが戒行に執着する考えは無く浩浩蕩蕩と修行をしても工夫をするという考えを残さない」と言い、自性に立脚した戒行を強調している。 祖師禅では、身体の感覚体系を管理するという意味の戒律よりは、心の根源に本来備わっている、自然に生き躍動する意味としての戒律を力説する。そのような生においては、たとえ考えたとしても戒律を犯す事が消えるようになり、瞬間ごとに戒律に適合する生が完成し流れていくようになる。そのため悟った人々のすべての行為は自然で清らかであり、きれいになって朝の日ざしのように清明である。 博山無異禅師が『参禅警語』で、悟りの目が開かれれば、香を吸い掃除をする事まですべてが仏事になると言ったのも、このような理を指す言葉であろう。 看話禅の修行者たちが戒を守ることは極めて自然な日常の暮しのようである。参禅修行者の場合、下安居と冬安居の期間に徹底的に戒を厳守することはもちろん、解制を迎え行脚に出る時も戒を厳守しなければならない。在家修行者もまた修行家所や日常生活の中でも戒をよく守って行かなければならない。正見を立てて修行をするようになれば戒は日常の中で自然に完成する。修行と生が別に行われることは修行者の本当の姿ではない。修行と生とが一致するのが修行者の自然な姿である。真正な修行者の戒行とは、敢えて守ろうと思って守る戒行ではなく、花咲き葉が茂るような自然で活溌溌地な生の真の姿なのである。
第6章話頭の参究と三昧の段階
第1節話頭参究と惺惺寂寂
話頭参究において重要なことは、話頭に隙間無く覚めていることである。話頭を挙す過程で起きる全ての禅病や異常現象、そして何の考えもない無記に陥ることなどは、みな話頭に対して明確に覚めていることができない時に生ずる心の作用である。話頭参究の最も望ましい形態は、話頭に対する惺惺寂寂である。 話頭を参究する時、あらゆる煩悩妄想が生滅せず、両辺から決別した状態として展開されることを「寂寂」という。これは心が静かで清浄な状態で、きれいな鏡や波が起きなかった清い湖のようである。こういう状態でも、ただのんびりと無記に陥ることなく、さえている精神で話頭に対する疑情を持続していることを「惺惺」という。話頭に明るく覚めているということである。まるで、きれいな鏡に明るい光がありありと映ることのようである。 惺惺寂寂の中、話頭の参究において優先(優先視)されるのは惺惺である。もし話頭に惺惺と覚めていなければ、昏沈や無記または魔の境界に陥るようになる。話頭に完全に覚めていれば話頭三昧に没入して自然に寂寂とした境地が広がるようになる。 普照禅師は永嘉玄覚(665-713)禅師の言葉を借りて次のように述べた。 そのため永嘉禅師は、「惺惺寂寂は正しいが惺惺妄想は悪く、寂寂惺惺は正しいが寂寂無記は悪い。」と言った。既に静かな中にぼうっとしていることを受け入れず、あざやかな中に乱れている考えを起こさないのに、どうして妄心が生ずるというのか。 - 『真心直説』 「寂寂惺惺」であらねばならず「寂寂無記」になってはいけない。寂しいだけでどんな考えがない状態を警戒したことである。したがって話頭を参究する過程で静かに寂寂とするだけで話頭がはっきりと参究できなかったならば、場合によっては無記に陥り、工夫が先に進みにくい。
第2節 話頭を参究する時、没滋味をどのようにしなければならないか?
話頭に疑情が形成され、純一につながっている途中、どんな味も楽しさも感じる事ができない境地が訪れる。このような状態を没滋味、または無滋味と言う。とらえどころもなく寄る辺もなく、まったく楽しさがなくなる。大慧禅師はこういう時が良い時であると言った。 話頭とは言語と観念の味が絶えた考えであり、分析して追跡することができないものである。話頭とは本来どんな味も無いことである。それで円悟禅師は話頭について「どんな味もない鉄で作った餠(没滋味鉄酸?)」と述べた。話頭を参究すれば、理の道が絶え、あらゆる葛藤と推し量る考えと、自他を区別する分別意識から離れるようになる。足跡と痕跡が絶えるのである。 話頭を参究し、そのまずい餠をかんでから、ある程度進展すれば、言葉の道も絶え、思考の道が遮断される。言語と思考の味が絶えるということである。このように何らの楽しみがないことから没滋味というのである。しかし、これは話頭が熟し、自分と話頭が一つになって行っているという証拠である。このような境地に到逹すれば自分というものさえ消えると言った。 高麗末の懶翁禅師は「工夫十節目」により修行者の工夫の状態を点検した。禅師はこの没滋味の状態について、話頭が三昧を成して心身一如に入る直前の境地であると説明しながら、この境地では話頭が持続しているので、楽しさはないが力は減らされると言う。禅師は、何の楽しさもない没滋味の状態のなかで話頭の参究を休みなしに追いやることを強調している。 あるいは話頭を挙しても工夫が冷たく淡々として、全く楽しさがなく、くちばしでついばむ所がなく、力を着ける所が無く、わずかでも明らかな所がなく、それでもどうすることができないとしても絶対にここで退くことなかれ。この時こそが工夫をする者が工夫の力を付ける所であり、工夫の力を減らす所であり、工夫の力を得る所であり、体と命とを捨てる所である。-『懶翁和尚語録』「示一珠首座」 没滋味の工夫の過程では、より力をつくして話頭を参究し、疎かにしてはいけないというのである。ここで中断してはいけない。他の方便を捜さずに、ただ疑心をさらに起こして推し進めなければならない。ひたすら大信心と大精進力により、話頭を参究しながら追いやらなければならない。
第3節 看話禅でいう三昧とは何か?
(1)看話禅でいう三昧 三昧はサンスクリット語のサマーディsamadhiから出た言葉で、心身一如や没我一切の状態を指す言葉である。これは私と対象が一つになり清くて静かで搖らぐことがない境地をいう。私の思考の名残は消えて、ただありのままの実相が明瞭で明るく現われた状態である。このような状態を心が一つの対象に集中して静かに冥想に浸ることであり定とも言う。 看話禅においては話頭三昧を強調する。私と話頭が一つになり話頭が純一になることである。この言葉は、話頭を対象化して観ずるのではなく、私と話頭が一つになるという事実を明確に知る必要がある。それは話頭に没入し、話頭と私が一塊になって、おきたくてもおくことができず、捨てたくても捨てることができない銀山鉄壁の境地に入ってこそ初めて完全な話頭三昧と言える。この状態で話頭を打破すれば智慧がすぐ出るようになる。それは雲が晴れれば、すぐ日が出るのと同じである。このように話頭を打破して頓悟すれば、それが慧能禅師が言う日常三昧、一相三昧である。 (2)禅で強調する究極的な三昧の境地 禅宗で重視する三昧には、一相三昧と一行三昧がある。よく、やっている事と一つになることを三昧と言う。例えば読書三昧や映画三昧などを言う。このような三昧は対象につかまえられながら思惟する三昧なので、確かに個々の対象に熱中し、それと一つになるが、これは禅宗で言う思考の道、言葉の道が絶えた三昧では決してない。 禅で言う三昧は、音の境界にも音に染まらず、物質の境界にもそれに染まらないことである。このような三昧が慧能禅師の言う日常三昧であり一行三昧である。一行三昧とは、日常の行住坐臥の中で、常に真っ直ぐな心を行ずることである。日常三昧とは、一切処に処しても相にとどまらず、たとえ相を取っても好悪の心を出してはいけないことを言う。 このような三昧は真っ直ぐな心である直心を使う生である。よって万物とともに了了常知であり寂寂惺惺であり、どこにもとらわれないのである。臨済禅師が説いた「どこにいようが主人となり(隨処作主)、どこに立とうが、みな真理である。(立処皆真)という境地」が、このような究極的な三昧の状態を指す。
第4節 動静一如、夢中一如、寤寐一如の三つの段階とは?
話頭が隙間なく持続的に参究されてこそ話頭三昧をなすようになり、このような三昧を経て話頭を打破すれば悟るのである。話頭三昧は、その徹底の程度により動静一如、夢中一如、寤寐一如の三つの段階に分けることができる。すなわち話頭がどれほど密密とつながるかによって段階別に分けることができるのである。ここで仮に段階と表現したが、それは悟りに段階があるというので決してない。話頭の参禅は、まさにこの場ですぐに悟るところにその核心があるからである。 看話禅は、話頭を少しずつ少しずつ打破して入って行くのではない。話頭はどんな味もない鉄で作った餅である。その餠を一口で噛み飲み込むのである。全く段階や手順といったものは認められない。しかし悟ることは、刹那や工夫を実践して行く際には当然、長い時間が必要であるといわれる。この三つの段階の中、寤寐一如の段階に入れば悟りが近くに来たのである。 「一如」とは、「常に一様だ」、「絶えることなく常に同じ状態を維持する」という意味である。話頭を参究することと関連させて言えば、「話頭が専ら持続的に参究されること」をいう言葉である。動静一如とは「話頭が、動いている時でも、じっとしている時でも、一様に参究されること」をいい、夢中一如は「話頭が、覚めている時でも、夢見ている時でも、一様に参究されること」を意味する。そして寤寐一如とは「話頭が、覚めている時でも、深い眠りに入っている時でも、同じように参究されること」である。話頭を参究する時は、動静の間に、そして深い夢の中でも、さらに寝ても覚めても話頭が純一に参究されてこそ、初めて悟るようになるのである。 この道理について太古普愚禅師は、次のように明確に説いている。 もし一日に一度も切れることがないと思ったなら、さらに精神をぐっと調えて時々点検して、日々に切れることがないようにしなければならない。もし三日間、法のままに途切れる隙間もなく、動いたり、じっと座っている時にも一様であり(動静一如)、喋ったり黙っている時も一様に話頭がいつも前に現われているが、急に流れる瀬の中の月明りのように、ぶつかっても散らばらず、かきわけても消えず、曲がっても消えず、寝ても覚めても一様ならば(寤寐一如) 大悟する時が身近に来たのである。 - 『太古和尚語録』 とても深い眠りは死のような睡眠である。しかし、このような死の瞬間にも、心は我々の内部の深い無意識の中で動く。唯識ではこれを阿頼耶識と言う。このように動きまわる心が人々を輪迴させる。「眠りに入るやいなや無くなってしまったら、どうして生死に立ち向かうことができるか!」という言葉は正しくこれを意味する。 熟眠とは夢もみない深い眠りである。その深い眠りの中でも話頭が参究されていればこそ話頭は途切れず一様になる。この状態を持続することができれば、話頭の参究は決して退却しないため、遠からずして吉報がやって来るであろう。大慧禅師も言うように、この寤寐一如の道理は他人に見せることはできないものであるから、自ら体験して見るほかはないのである。
第5節 上機根の衆生は言下に話頭を打破することができるのか?
禅とは、まさにその場で心を伝えることである。機根の熟した人は瞬間の悟りによりその場に入る。本来の面目を明らかにするには何らの蛇足も必要ないのである。仏は花をとって見せるとすぐ迦葉がにっこり笑うだけである。それで大慧禅師はただ「一言や一言句節の下ですぐ悟ることが重要である。」と言った。 このように、一言の言葉を見せ、まさにその場で瞬間的に話頭を打破しなければならない。六祖慧能禅師は『金剛経』の一句節を聞いて言下に大悟した。慧能禅師は次のように述べている。 善知識よ、私は弘忍和尚といる時、一言の言葉に大悟し、真如本性を一気に悟った。だから、このような教法を後代に流行させ、修行者が菩提を直ちに悟るようにし、自ら心を見、自己の本性を悟らせようとするのである。 - 『六祖壇経』 それで馬祖禅師は「もし上根機の衆生であれば、善知識の教えを受けた瞬間、それを言下に見抜き、修行の階梯を経ることなく瞬間的に仏性を悟るのである。(『馬祖語録』)」と述べたのである。 師匠の言葉を聞き弟子が言下にすぐ悟ることを言下便悟と言う。言下便悟とは、動静一如、夢中一如、寤寐一如の段階を直ちに飛び越えることである。段階を分けると時間の経過を認めるようになる。しかし、瞬間の悟りとは一瞬にして悟ることであり、悟る瞬間に時間と空間を超越するのである。この瞬間とは超時間的な瞬間であり、時間を超越した永遠である。話頭はこのように一瞬の間に打破することである。そのために瞬間の悟りである言下大悟が可能になるのである。 も しそうならば、この言下大悟の状況をどのように理解しなければならないか? 最上乗の機根であるとしても言下便悟がどのように可能であるか?それは「我々の心が本来、仏である」ためである。それで一言の言下に、またはある現象を目撃して、すぐ悟ることができるのである。だれでも「私が本来、仏である」という事実を徹底的に信じ、それに目覚めるようになれば瞬間的に悟るようになるのである。. 話頭を与えるや、まさにその場で悟る者は、本当に機根がすぐれた者である。瞬間の悟りではないとしても話頭を徹底的に参究すれば、短い瞬間に悟りを得ることができる。 ただ、速く悟ることが可能であるといっても、看話禅の修行者たちは自分が速く悟らなければいけないという欲心を出しては決して悟ることはできない。そのような心よりは、懸命に発心し自分の心を明らかにしなければならないという心の姿勢のほうが、より重要である。だから上機根の人は瞬間的な悟りや速く悟ることも可能であろう。
第6節 静かな境界に気をつけろという理由は何か?
修行をしてみると、身体が消えてしまったような、雲の上に座っているような、ひたすら安楽な時がある。このように身体と心を忘れ、もっぱら楽でばかりいるとしたら、それは禅病にほかならない。大慧禅師は、そういう時に気を付けるべきであると言った。 話頭を参究せずに、ただ安楽な状態に留まっているとしたら、これは修行者が陥ってはいけない恐ろしい境界である。場合によっては、そういう所に留まると、心に抱くすべてのものを忘却し、がらんと空いて静かな状態を守ることが道であると錯覚することもある。 高麗の真覚慧諶禅師も、このような状態を示して、「ひたすら眉毛を覆って目をつむり、心を空にし静かにさせて真っ黒い山の下の鬼神窟の中で坐禅しながら悟るのを待つ」と言い、「それは恐ろしい境界である」と言い、古人の言葉を引用して警戒した。 「楽で静かな境界に気を付けなさい」と言う言葉は、話頭を逃さずに持続的に疑心しなければならないという意味である。忽然と身体と心が静かになり、先後の境界が絶えたとしても、その静かな状態に心を奪われてはいけない。その静かな状態でも話頭を挙すことを止めては決してならないということである。 慧諶禅師は次のように述べている。 どんな味もなく手探りして模索する距離(通り)もない状態を嫌ってはいけません。ただ話頭を逃さずに惺惺に持っていなさい。忽然と身と心が静かになり、先後の境界が絶えたとしても、その静かな状態にとどまってはいけず、ここでも話頭を見る事を止めてはいけない。 -『真覚国師法語』「示空蔵道者」 ここで一つ気を付けなければならない点がある。前に述べた「身体があることも分からない」というのは、話頭の工夫をするときに話頭三昧に入り身体を忘れる境地とは違うことである。話頭三昧に没入すると、話頭に疑心が絶えずつながり、身体の動きを感じることができない。このことから太古禅師は、話頭三昧に入れば歩くことも座ることも意識できず、食事する時もその味が塩辛いか辛いのかが分からず、さじの動きも全然感じることができないと述べた。 したがって「身体を忘れたようだ」と言う時、それが話頭に没入している三昧の境地でないとしたら、その状態は、心の境界に陥り心身が楽になり静かな所に留まったり、何の考えもない無記に陥っている状態であろう。 慧諶禅師の言葉通り、そうした状態に留まっていると真っ黒な鬼洞窟の中にいるのと同じである。覚めていることができないので木石のような人間になり、工夫に何らの進展がない。このような時は、再び懸命に持てる力をつくして話頭を参究しなければならないのである。
第7節 話頭を純一にしている途中、神秘的な現象が起きたときにはどうすればよいか?
工夫が熟していく時には、仏菩薩が見えるとか、神妙な音が聞こえるなどの神秘的な現象が起きたりする。このような現象は話頭を聞く(挙する)時、たまに現われることであり、望ましい状態ではない。 このような事に心を奪われれば正しく精進すると見ることはできない。そういう現象が見えるということ自体が、話頭を逃し、境界から妨害を受ける代表的な症状である。話頭の工夫の過程で、話頭を逃した意識のがらんとした隙に現われる異常現象なのである。言い替えれば、話頭が純一に進行している途中、ちょっとわき目をふったすきに夢うつつに起きる現象である。 このような現象が起きたら、自分の話頭を再び参究する外には他によい方法がない。太古禅師は、熾烈に話頭を参究している途中で話頭以外の他の考えが瞬間的に入りこんだ場合は、その空虚な意識の中で、日常では経験しないような「つまらないこと」に迷わされると言った。その言葉を聞いて見よう。 話頭が自然に純粋に熟し、疑心が打成一片を成すようになれば、身と心が忽然と空き、凝結されたように動かず、心がこれ以上行く所がなくなるであろう。この境地がまさに話頭を参究する当事者の本分であるから、当事者がもし話頭とは異なる考えを起こせば必ず「虚しいこと、つまらないこと」に迷わされるであろう。 - 『太古語録』巻上「示衆」 工夫を参究して行く過程で様々な境界が起き、不思議な現象が起きたりもする。修行者はどんな境界が起きても、どんな不思議で妙なる現象を体験しても、少しでも気を向けたり関心を置いたりしないことが必要である。そうであればあるほど、より熱心に話頭だけを参究して行かなければならない。 いくら境界が殊勝で微妙な説法を説いたとしても、それらすべてが魔の境界であると認識しなければならない。そして、このような境界の起る原因は、話頭する心に隙が生じて起こることである。すなわち妄念の根が残っており、そうだと思って心を大きく振り返り、ただ工夫にのみ綿密に力強く掘り下げなければならない。こんな時こそ智慧と勇猛心を試して見る好機なのである。 太古禅師は、話頭参究の途上で現われる神秘的な境界から脱しようとすれば、そういう想念が起きることに恐れずに、想念が起きるたびに話頭を参究せよと言った。想念が起きたときに起きたと見抜くことができれば、それらは直ちに消えると言った。 神秘的な現象をはじめとした妄想が起きる度に、それを消すには他の妙案があるのではなく、話頭をはっきりと参究することが解決策である。看話禅の参禅において発生するすべての禅病は、話頭を逃した時に発生することなので、他の手段を講ずるのではなく、ひたすら話頭を再び参究せよという脈絡である。前の内容と併せて、神秘的な現象の出現と、それに対する対処方法は次のようである。 第一に、正しい三昧である惺惺寂寂とした三昧が成り立っていたら、そのような神秘的な境界の現われる隙がないであろう。話頭の工夫が明らかでなく焦点を失った時に境界が起るのであるから、ひたすら工夫だけを綿密に修していけば、一切の境界が現われる隙がない。 第二には、修行者の心に求めるものがあったり、妄念があれば境界が起ってくる。だから修行者は一切、求めるという考えを無くさねばならない。道を悟ることを求めたり、仏祖と会うことを願ったり、道が現前するのを待つとか、という心が魔を呼ぶことであることを知らねばならない。 第三には、心が本来、形象がないことを深く体得することができなかったからである。「万法は心から起こる。一心は本来、形象が無いゆえ、道門にどうして現われる境界があろうか?」という道理をよく知らなければならない。 そのため工夫する途中に境界が現われたということは、修行者の心の姿勢に弱点があったり、工夫に対する正しい理解がないからだという点を認識しなければならない。境界が起ったら工夫が脇道に逸れたことをすぐに認識し、ただ話頭参究により心を振り返えり綿密に修していかなければならない。そうすれば全ての境界は消そうと思わなくても自然に消え、工夫はより深く進むであろう。ひたすら修することだけを知る、これがこの工夫の最も緊要な事である。
悟りの世界
第1章 点検と印可
第1節点検と印可とは何か?
点検は、修行者が善知識に自身の工夫の状態を聞いて確認することである。世の中の他のすべての事も、熟達した境地に上ろうとすれば必ず指導者から点検を受けながら懸命に努力しなければならないように、禅修行においても明眼の指導者から正確で纎細な点検を受ければこそ正しい道に進むことができる。特に話頭を参究して悟りに進む過程は非常に綿密であり、時として予期する事が出来ない状況が展開したりする。修行者の内面で起きる心の動きについて、善知識が適切な指導を与えないと誤った方向に行ってしまう危険性がひそんでいる。 それで修行者は時々、師匠を尋ねて工夫がきちんとできているか、誤った道に進んでいないか、直すべき点は何であり、補うべき点はどのようなことなのかを一つ一つ問い、師匠の指導に随って是正し、工夫が熟すべく点検を受けなければならない。師匠と弟子との間に点検がよく成り立たない場合、修行者は話頭の参禅に関心を持てなくなったり、とんでもない道に陥ってしまう可能性がある。それゆえ点検は重要なことなのである。 印可は、修行者が話頭を悟ったか否かを点検して悟りを認定する修行の最後の過程をいう。すなわち、修行者が話頭を打破した時、善知識がその境界を点検して、正しく悟ったならば印可して点頭(首肯)してくれるのである。 禅において印可は極めて重要な意味を持つ。これはまさに竜に瞳を入れ、生きて動くようにする「画竜点睛」の瞬間のようである。禅で特に最後の点頭が重要なのは、ある修行者が悟ったと言う時、その悟りを確認できる客観的な基準がないからである。換言すれば、真実の悟りなのか、間違った悟りなのか、それでなければ未だ不十分なのかを検証できる、外に現われた確実で明確なモノサシがないのである。そのため、自分なりの所見により悟ったと錯覚する場合が起きる。工夫を修して行って得た、ほんのわずかな知見に執着して工夫を中断したり、脇道に陥り錯覚道人が生じたりする。 そのため修行者は自分が経験 した悟りについて、いくら確信があっても正しくて悪さを確認する手続きである印可を受けなければならない。そうでなければエセ道人が出現するようになり、自分はもちろん他の人々までも間違った道に引き込みかねない不幸な事態が起る可能性がある。これは本当に警戒に警戒を重ねるべきことである。 そうであるならば誰に印可を受けなければならないか?仏が迦葉尊者に以心伝心で伝えた法は、消えることのない燈のように多くの善知識を経て今日まで継承されてきている。このような善知識を本分宗師、あるいは本色宗師という。祖師禅・看話禅はその特徴上、悟った者だけがその悟りの境地を印可して法を伝える伝統を大切にしてきた。そうして索莫たる地には真理の水が流れ、大地は青い森を成して遂に燦然とした花を咲かせていたのである。
第2節 点検と印可の過程はどのようになされるか?
逹摩祖師以後、祖師禅において上堂説法と問答を通した工夫がどのような構造で進行されて来たのかをよく見ると、点検と印可が普遍的な手続きであったことを確認できる。祖師禅の工夫は発心、参問、参究、勘弁、印可という過程を経る。祖師禅の精神をそのまま引き継いでいる看話禅も同じ過程を経る。 発心とは、悟ってすべての煩悩から脱し必ず大自由人になるぞという切実な喝きである。よって発心は禅修行の出発点といえ、終始一貫つなげていかなければならない生命の紐であり目的達成の原動力である。 参問とは、発心した後に善知識を尋ねて教えを請うことをいう。請問ともいう。このように法を尋ねて来る修行者の問いに応対して、善知識は様々な機縁を通して、すぐに心を見せてやろうとする。その具体的な方法として説法と問答がある。説法と問答の過程で修行者は言語を媒介して心を悟るようになる。そして、場合によって喝や棒や、その外の直接的な行為を通して本来の面目が激発されることもある。修行者は善知識との応答の過程で機縁が合えばすぐに悟るのである。このような場合を「言下便悟」すなわち「言下に悟る」と言う。すぐれた上機根の人がこれに該当する。 修行者が善知識を参問する過程で、言下に悟ることができなければ疑問と混乱の中に陷るようになる。こういう場合、善知識が提示した話頭に疑心を抱き、持続的に窮究して行くようになるのであるが、このような過程を参究と言う。初めて捜した善知識と因縁がないと考える修行者は、胸にこびりついた疑問と混乱を解決しようと、他の善知識を捜して行脚したりする。そうでない場合には、善知識に仕えて精進しながら胸につかえている問題を解こうと命をかけて競う。 勘弁とは、善知識が修行者の悟りの位と状態を正確に判別することをいう。修行者が悟りを得ると、善知識を尋ねて印可を求めるのであるが、この時、善知識はさまざまな問題を提示し、修行者の悟りが完全であるか否かを確認する手続きを経る。これを勘弁と言う。 勘弁の厳格な手続きを通して話頭を打破し、悟ったことが確認されれば、善知識は印可を下してくれる。善知識から印可を受ければ修行者は自らも一点の疑惑がなしに廓徹大悟するようになる。しかし修行者が善知識に印可を受けることができなければ、話頭の参究を続けなければならず、このような過程は最終的に大悟する瞬間まで続くのである。
第3節 自分で工夫を点検するときにはどのようにすればよいか?
工夫の点検は善知識より受けることが原則である。しかし事情が適当ではない時は、祖師語録に記されている基準により、自ら点検する方法もある。この場合、決して自身を欺いてはならず自己の工夫に対して冷静に判断できなければならない。このような心の姿勢のみ確固であれば、祖師たちの語録に従って自分の工夫の良し悪しと深浅を自ら点検できることであろう。 (1)太古禅師と西山禅師の工夫の点検法 西山禅師は『禅家亀鑑』において太古禅師の工夫の点検法に基づき日常生活で工夫を点検できる方法を提示した。これは日常で自身の工夫の程度を正確に調べることができる非常にすぐれた自己点検法であり、修行者は自らの修行の向上のためにこれを点検の基準として毎日、自分の工夫を振り返ってみれば大きな助けになることである。 1. 四種類の恩恵が深く厚いことをわかっているか。(ここでの四種類の恩恵とは、親、国、 師匠、施主の恩恵を言う) 2. 地水火風の四大からなる汚い身が、一瞬ごとに腐っていくことをわかっているか。 3. 人々の命が呼吸の間に駆けていることをわかるか。 4. かつて仏や祖師のような人に会っても、そのまま通り過ぎてしまわなかったのか。 5. 高く神聖な法を聞いてから嬉しく幸いな考えを、一時でも忘れなかったか。 6. 工夫する所を離れず修道人らしい節操を守っているか。 7. そばにいる人々とくだらない無駄話でもしながら過ごしていないか。 8. 慌ただしく是非や事としていないか. 9. 話頭がいつでも、くっきりとしており暗くなっていないか。 10. 他人と話している時にも話頭が絶えず持続しているか。 11. 見、聞きしている時にも、話頭が一様に持続しているか。 12. 自分の工夫を振り返り、仏と祖師に匹敵するものであるか。 13. 異生に仏の慧命を成すことができるか。 14. 坐り横になって楽に過ごしている時に、地獄の苦痛を思うか。 15. この肉身で輪迴を脱することができるか。 16. すべての境界にも心が動かないか。 17. この身を異生に引き上げることができなければ、またどの生に引き上げようか。 西山禅師が紹介した点検の事項以外にも、太古禅師は以下のことを提示した。 1. 上中下の席を問わず互いに敬うか。 2. 他人の咎を見たり、他人の咎を言わなかったか。 そして下の事項を自ら点検して見られることを望む。 1. 正見が正しく確固と立てることができたか。 2. 修行と生が一致しているか。 3. 話頭に対する信念がますます増長しているか。 4. 物質に対する欲求が調伏されて行っているか。 5. 廓徹大悟して、すべての衆生を済度しようという願力が立っているか。 6. 決済解除に関係なく常に戒律をよく守っているか。 7. 是非心と勝負心が日をおって少なくなっているか。
第2章 悟りの世界
第1節悟りとは何であり、どのような世界が広がっているのか?
話頭を打破して悟りを得たならば、それは夢から覚めたのと同様で、空に百千個の日が照ることのようである。その世界は虚空のように無限に広く限定がない。その中に存在するすべての事物は平等であり優劣がなく、貴賎もなく、親疎もなく、是非もない。対立と葛藤、そして闘いのない平和な世界のみがあるだけである。また、すべての存在が一つに統一されているため、他人のためのことが自分のためのことであり、自分のためのことが他人のためのことになる。 悟 れば自主的、自律的であり、能動的、積極的であり、自分にも他人にも限りなく慈しみ深く、すべての順逆境界に自由自在である大自由人になる。この躍動的な現象は言葉でも説明することができず文章でも表現することができない。本人みずから水を飲んでみてこそ、冷暖が分かるという理とも同じである。 しかしながら、悟りというものは、ある別天地の世界を指すのではない。今この場でありありと生きている生の姿であるだけである。これはあまりにも当たり前で、今更言い聞かせる必要もないほどである。これは、趙州禅師が言ったように、茶でも一杯飲むということである。これ以上また加えて得るところがない。既にそれ自体として完全に具わっているから不可得であり不可説である。 悟ればはっきりと明るくなる。厘毛の疑心もなく、どこに行かねばならないか、何をしなければならないか、進むべき道が正確にくっきりと見える。そのため不安や迷いが無いだけでなく、立ち居振る舞いが完成された生の姿を明るく現わして見せる。また、一人ですべての束縛から脱して、どこにも依存することがない。これを独脱無為という。それは依存するところがないので、どこにも執着せず、執着しないので精神的に静かで安定した状態に留まるのである。 大慧禅師の師匠である円悟克勤禅師は、無心無念の本来の面目を徹底的に証得してこそ正しい悟りであり、この無心無念の境地が正しく見性成仏であると述べた。 悟った者は虚空と同様で、どんな事物も彼を閉じこめることができない。悟った者は、凡夫にも聖人にも拘束を受けず、いつでも、どこでも自由である。このように、悟りとは非常に大きなもの、自由なものであるから、どんな境界にも拘束を受けない。悟った者は心が安らかで無心なことのない道人であるから、多くのことが一緒に来たとしても心が搖らがない。それでも道人は仕事がない世の中外で遊び歩く暇な神仙くらいと思ってはいけない。悟った者は、その暇な心、仕事ない心で全ての事を隙間無く正しく処理するからである。 また話頭を通した悟りは、出家・在家を区別せず、男女を差別しない。この禅法の中にはすべてのものが差別なしに会通している。すべての衆生は本来、仏であるという理由に、本来の消息を知らせる機縁に接する瞬間に悟るようになるのである。
第2節煩悩がすなわち悟りであるとは?
(1)山は山、水は水 心は本来、染まるとか汚されるとか消える事がないから煩悩が別にあるのではない。ただ主観と客観を分けて「はからい」を出すために、煩悩と智慧、生死と涅槃などが、別に存在するもののように見えるだけである。 迷った衆生は自分と対象とを分ける。だから相対的である。すべてのものが一つではなく二つに見えることもこのためである。このように二つに分け見て考えて行動するため、対立、葛藤、闘争のあげくに戦争もするのである。. このような「はからい」が縁起であり無我であることを悟れば、生死と涅槃、煩悩と智慧が二つでないことを分かり、平等で自由な生である解脱を成すようになる。これを山は山、水は水という。 このような境地を、靑原惟信禅師の上堂法語から見てみよう。 老僧が三十年前、参禅する前には「山は山、水は水であった」。その後、すばらしい禅師に会い禅の真理を捜した時、「水は水ではなく、山は山ではなかった」。しかし、もう最後の休む所である悟りを得てみると「山は本当に山であり、水は本当に水であった」と。 ―『続伝燈録』第22巻 ここで、修行する以前の「山は山、水は水」の段階が、悟った後に再び山は山、水は水になることは、煩悩と智慧、生死と涅槃がふたつではない道理と同様である。 (2)「煩悩がそのまま悟り」が実現される章 悟りを成した者が仏である。仏とは我々の心である。心と仏が違わないから心がすなわち仏なのである。心を離れて存在する固定された仏はいない。「煩悩がすなわち菩提」と、「迷いがすなわち悟り」ということ対して、黄檗禅師は『伝心法要』で次のように明解に解いている。 裴休が尋ねた。 「今、すぐに妄念を起こす時、仏はどこにいるのですか?」 黄檗禅師が言った。 「いま君が妄念が起きたことを悟った時、その悟りがまさに仏だ。もし妄念がなければまた仏もいない。なぜそうか?君は考えを起こして仏という見解を作り、ふとすぐに成さなければならない仏があると言い、衆生という見解を作り済うことができる衆生があると言う。しかし、心を起こす考えの動揺は、すべて君の差別的な見解なだけである。もし、一切の見解がなければ仏はどこにいるというのか? まるで文殊がしばらく仏という見解を作ってから、ふと二つの鉄囲山から追い掛けられたことのようだ。」 - 『伝心法要』 黄檗禅師は「妄念が起きることを悟る時、その悟りがまさに仏である」と言った。このように迷いと悟りは別に存在するのではない。迷った瞬間、それを自覚さえすれば、すぐ悟ることに転換することであるから、迷いと悟りが別にあるという見解を作してはいけない。 山は山、水は水である。煩悩がそのまま悟りである。世の中のすべての事と作用が仏の姿である。煩悩は別に存在するのではない。別に存在するという「はからいの心」を出す瞬間、苦痛が発生する。この道理をよく分からなければならない。
第3節悟れば逆順境界にとらわれない理由
悟りとは、逆境界や順境界、善境界や悪境界、静かな境界やうるさい境界、そのどこにも束縛されない自由な境地を指す。悟った者はどこにも留まらず、どこにもとらわれない。何をしても、どこにいても、自由で堂々として凛凛しく、死さえも彼をどうすることもできない。 逹摩大師は、悟った者は聖人の境地や凡人の境地を分別せずに入って行くと言った。そして、凡夫の世界に入っては、様々な凡夫の姿を見せ自ら衆生になることであると言った。衆生を済度するための、とらわれのない姿を見せるからである。逹摩大師がまた言われるには、「聖人は逆順境界において全て自由自在であることを得て、全ての業が彼を拘束することができないから聖人の境地は永遠である」(『血脈論』)と。宏智正覚(1091-1157)禅師はこの境地を次のように説いている。 にょっきりしており、堂々とし、全ての事にこだわらずにもとのままだ。うるさい所にも頭を押しこみ、平穏な所では足を下ろす。-『宏智広録』巻2 悟った者はどのような境界であれ、とらわれがない。境界に差別がなく、どこでもあれ分別せず、もとのままに一歩ずつ歩んで行く。静かだ、うるさい、苦しく、楽だなどの間には関係せず、縦横無尽に障りなく自由自在である。煩悩で満たされた騷騷しい市場の中であるとしても仏の家風が一面に現われている。 一方、逆順境界を分別する心が介入すると様々な障害が果てしなく起きる。よって、逆順境界から自由なのか否かが悟りの点検の際の基準を設けることができる。逆順にとらわれないわけは、その逆境界と順境界という相対的な世界が二つではないからである。悟った者は、その二つではない境地にとどまるため、苦痛と喜び、好きと嫌い、善と悪という枠組みから自由なのである。 物事の良し悪しは別にあるのではなく、心によって起き、その心は悟りにしたがう。悟った者は、是非分別の心の作用が止んでいるから逆順に自由なのである。だから悟りの世界は逆境界と順境界という区別が本来、存在しない。どんな境界であれ、それと私の心が一つになり往来が自由である。決まったねぐらがなく、どこに泊まろうが一点の痕跡もない。 円悟禅師は『碧巌録』87則でこのような境地について述べている。 明眼宗師はとどまるねぐらがない。ある時はにょっきと突き出た峰の上で覆い被せた草の中に隠れ、時には喧騒の街中で一点の時もなしに裸になって全てを現わす。- 『碧巌録』87則「垂示」
第4節 悟った者は衆生教化をどのように行うのか?
釈迦牟尼は六年の苦行の果てに悟った後、四十五年を衆生らとともにしながら悟りの道に導いた。このような仏の生は悟った者の生の姿が、どうあらねばならないかをよく見せている。 馬祖禅師も『古尊宿語録』において『維摩経』を引用しながら「世の中にありながらも汚染した行をせず、涅槃にとどまっていても永遠に滅度に入らない」と述べた。また「凡夫の身でありながらも世俗の仕事に貪溺せず、聖人の境地にいても衆生を捨てないことが真正な菩薩行である。」と述べた。 看話禅では、煩悩がそのまま悟りであり、世間がそのまま出世間という信の上に立っているため、煩悩の中にいるが煩悩に束縛されず、それを仏の場に向けておく。世間の中にいるが世間に染まらずに、世間において万行を実践し教化活動を広げる。 悟った者の生ならば、山奥で学人を指導しても、世間で衆生を教化しても、どちらでも問題になることがない。深い山奥に清い薬水があれば、飲むことを願う人々が自然に集まるように、道人はそのように尋ねて来る修行者を指導したり、賑やかな都市から集まって来る大衆を教化することもできるのである。 心を尋ねる修行の路程を絵と頌で表現した「尋牛図」という禅画がある。禅修行の段階を牛と童子に譬えて表わした絵で、自身の本分の場を尋ねて悟りに至るまでの過程を十の段階に分けて描いたことから「十牛図」とも言う。 この「十牛図」の最後の場面を入廛垂手という。市場の中に入り衆生を教化したという意味である。この入廛垂手を表現した一節の絵には、ある修行者が杖に大きな布袋を担いで人々が多い所に行く姿が描かれている。また、ある絵には幼い子供と話を交わす姿が描かれている。 大きな布袋は衆生に施す福と徳を盛った布袋であり、これは仏教の究極的な意味が悟りとともに衆生の済度にあることを象徴する。瓢箪をつけ、杖をついて家ごとに通い、各々仏になるようにして仏の国を成す。たとえ服は土がついて汚く、頭は灰をたっぷり被っているが、明るい微笑みで朝から晩までほこり一杯の世俗の生の中で衆生を救済する。 ところで、その救済する方法も禅法として展開されている点に注目しなければならない。老人は幼い子供に日常のあいさつの言葉をかける。 「お前は誰か?」 「どこから来る途中なのか?」 「いま、どこに行くのか?」 これは、日常語を借りた、自身の本来の面目を見よという雷のような法門であり、我々がもし絵の中の子供のようではなければ、その法門を聞き分けにくい。悟った者は縁によって自然に衆生済度の道に赴く。衆生の機根に従い、その時その時、各々の本来の面目を明るく見せてくれるのである。
第5節看話禅の社会的価値と役割
看話禅が定立された当時、中国の社会歴史的な現実は大きな危機状況であった。宋が金との戦争で敗れ社会が乱れ経済が貧しくなり民たちが混沌と絶望に陥っていた。 このような時代状況の中で、大慧宗杲禅師は看話禅を体系化し、出家者と在家者に日常生活をしながら話頭を参究する方法を教えた。禅師は塗炭の苦しみに陥った人々に勇気を呼びおこし崩れ行く国を蘇らせる智慧を明らかにするために自由自在して活溌発地な禅を広く伝えたのである。大慧禅師は、戦争に敗れて失意に抜けた人々に禅を教えて、我執と両辺を死に別れて、正しい価値観で生きて行くように積極的に教えを開いた。 今日、我々の社会も看話禅が定立された当時の中国の状況とそれほど異ならない。たとえ、過去の時代に比べて物質生活の水準は良くなったといっても、精神文化の成熟度と教養の深さは低い水準にとどまっている。また、未だ南北分断の悲痛な歴史の現実と東西、労使、進歩と保守等々で対立する社会の流れは、我々の生をもっと手に負えないようにしている。さらに地球村のあちこちで対立と葛藤、そして戦争の止む日がないのが人類文明の到逹した現住所である。 韓国仏教は、日本やチベット、あるいは東南アジアの仏教とは異なる特徴を持っている。まさに禅がそれである。韓国仏教では禅が定着して綿々と継承、発展してきた。よって他のどの国の仏教よりも法を深く見ている。禅宗、すなわち祖師禅ㆍ看話禅の伝統を最もよく守ってきたのが韓国である。我々は堂々と自負心を持ってもよいほど、禅思想と実参実修の面で偉大な価値を大切に維持している。 世界に多くの国があり、そこでは多様な宗教が存在して来たが、理念と宗教、人種間の対立と葛藤を解消するどころか、より深化させていることが現実ではないのか?しかし、仏教は戦争や厳しい対立を起こした歴史がない。仏教の禅をきちんと理解すれば、お互いに平等に見、対立と葛藤をせず、無限の競争時代に無限の向上へと、このような問題を充分に解消することができる。 禅の価値を世の中に広く知らせることは、いつの時代でも重要であったが、今はもっと火急を争うほどに切実で至急である。生を支えていたすべての価値の土台が崩れ、個人主義と欲望に代弁される、不毛で荒廃した我々の時代の精神文化は、いまや我々にどんな現実的な慰めもバラ色の未来も保障してくれないではないか?ただ人類が直面した根本的な問題を一挙に飛び越え、各各が自己の職分で無限に向上し、互いに一緒によく暮らすことができる中道縁起と禅の体験が、人類文明の新しい代案として提示されなければならない。 すでに人類の諸問題を自己の問題として認識した出家・在家の修行者らは、個人と時代をともにする大きな発心を起こし、熾烈な禅修行の道を行かなければならない時である。何より先に出家・在家の修行者たちが、参禅修行を通して生活の模範を立てながら、この地に禅の価値を広く知らせ、禅思想と文化を燦燦と美しく花咲かせなければならないのである。 そして禅の自由自在で活溌溌地な気性が社会のすべての構成員に伝播し、各自の心が平和で智慧に溢れ自由になることに寄与しなければならない. 今この瞬間、まさにこの場で模様も痕跡もないが、活発に生きて動くこの心を直視しよう 自己 自身を直視しよう。 我々は本来、仏なのだ。
坐禅法
附録・坐禅法
坐禅をするためには静かで清潔な所が良い。しかし、より重要なことは、あまり場所や環境に執着しない心の持ち方である。逹摩禅師は「外には一切の因縁を切り離し、内には迷いに囚われず、心が壁のようになってはじめて道に入ることができる」と述べた。 六祖慧能禅師は『六祖壇経』において「外にはすべての境界に心が動かないことを坐といい、内には本来の心を見て揺るがないことが禅である。」とおっしゃった。これらはまことに祖師たちの刻苦専念した教えである。 坐禅をするには、まず大きな誓願を立てなければならない。 「正しい法に対する信心が堅固で、永遠に退きません。」 「生死を繰り返す輪迴から脱却し、必ずや本来の面目を悟ります。」 「必ず仏の教えを継ぎ、全ての衆生をすべて済度します。」 このような願力を糧として、坐禅する時だけでも、すべての対象世界との関係を絶ち、話頭のみを綿密に参究しなければならない。 1. 坐禅する方法には結跏趺坐禅と半跏趺坐禅がある。 結跏趺坐禅は右足を左足の太腿の上に乗せ、左足を右足の太腿の上に乗せる姿勢である。この時、両足を太腿の深くに乗せると姿勢も安定し長く坐っていることができる。半跏趺坐禅は座布団の上に座り、左足を右足の上に乗せるか(吉祥坐)、右足を左足の上に乗せる(降魔坐)。 2. 腰を自然にまっすぐに立て両肩に力が入らないようにする。両耳と両肩を並べ、鼻と臍が垂直になるようにする。 3. 手は、吉祥坐の場合、右手のひらを左足の上の丹田の前に自然に置き、その上に左手のひらを重ねて上げる。両手の親指を軽く互いに触れるように付ける(法界定印)。降魔坐の場合は、その反対にすればよい。 4. 口と歯は緊張を緩め、そっと結び、舌先を上あごの歯の付け根に触れるようにする。目は半分くらい開け、閉じないこと。自然な形でまるで頭がないことのように思い、1-2 メートル先に視線を下ろす。 5. 食べ物は、食べ過ぎず少し不足気味にすること。腰紐は余裕をもたせ、可能な限り言葉を多く用いず、すべての緊張を緩めるようにする。 6. 呼吸は極めて自然にすること。少しだけ深く吸いこみ、ゆっくり吐き出すという気持ちで行うが、それにあまりとらわれず話頭のみを参究すること。 7. 身と心を丸ごと話頭に捧げ、話頭と一つにならなければならない。坐禅がうまくできる、できないという考えも、全て妄想であるから、ただ話頭の参究のみに全力をあげること。切実で真率な態度で行うが、速効心や懈怠心を出してはいけない。 8. 警策 - 坐禅中にまどろんだり、精神を集中せずに姿勢が崩れた場合には警策を打つ。警策は正しい修行を助ける文殊菩薩の教えである。警策を打つ時には、打つ人が受ける人の右肩の上に竹扉を軽く乗せ警策を打つことを知らせる。すると受ける側は眠気から覚め、合掌して頭を左に軽く傾け肩で警策を受けるようにする。警策を受けた後にも合掌して感謝の意を表した後、再び正しい姿勢に戻る。 9. 坐禅の時間は、50分間坐禅した後、10分間歩くというのが基本であるが、あまり時間に拘束に拘束されてはいけない。歩くのは放禅びの時間に禅房の内外をゆっくり歩きながら脚を溶いてくれるのを言う。歩行時にも話頭をおいてはいけない。 以上のような方法で坐禅をした後、詳細な事項について経験ある方から学ぶのがよい。
FAQ
1 韓国仏教にはどのような種類の修行法がありますか?/多様な修行法の中で看話禅を主とします。
韓国仏教は、看話禅、念仏、절、読経・看経、写経、戒律と懺悔、ヴィパッサナーなど多様な修行の伝統をもっています。その中で曹渓宗は、話頭を持ち参禅する看話禅を主としています。
2 看話禅とは何ですか?
看話禅とは、話頭を参究して自分の本性を正しく見る参禅法です。話頭を参究することにより悟りを得る修行法ということから話頭禅とも言います。話頭を打破して悟ることを見性成仏と言いますが、これは自分の心を正しく見て仏になることを言います。看話禅は釈尊以来、インドと中国を経ながら自分の本性を悟る様々な参禅法の中で最も発達した修行法です。中国の宋代の大慧宗杲(1088~1063)禅師以後から普遍的なものになりました。
3 話頭や公案とはどのようなものですか?
公案とは元来「官庁の公文書」という言葉に由来した用語で、参禅修行においては絶対的な判断の準則となる命題を意味します。公案の種類は普通1,700種類の公案と言いますが、これは《伝燈録》に登場する1,701名の禅師たちの修行と言行に由来したものです。 禅修行者たちは多くの公案の中で禅師の指導を受けて、一つの公案を選び話頭を参究します。公案が自分の本性を発見すること〔見性〕を目標とする参禅修行の大命題であるとすれば、話頭はその大命題の中の核心部分を言います。話頭は誰も完全な解釈や分析が不可能なものなので、みずから疑心を解決しなければなりません。
4 韓国の禪と日本の禪は同じものですか? /同じところもありますが、違うところもあります。
日本の禅には大きく分けて1臨済宗、2曹洞宗、3黄檗宗の三つがあります。この中で韓国の禅と似ているのは臨済宗です。坐禅をしながら参究する問題を、臨済宗では公案といい、曹渓宗では話頭といいます。公案と話頭は違う部分もありますが、似ている部分も多いため、他の宗派に比べれば、両者は兄弟関係にあるといえます。
5 看話禅は瞑想やヨーガとは違うものですか?/違います。
瞑想やヨーガの目的は体と心の安定です。看話禅は心の安定を超えて自分の心を見て、自分が仏であるということを自覚する修行です。これは一時的な心身の安定ではなく、人間が持っている苦痛の根を絶つ根源的な治療という点で瞑想やヨーガとは違いがあります。
6 修行をしようとすれば必ず出家をしなければいけませんか?在家仏者の修行方法は?/必ず出家する必要はありません。
修行は場所の問題ではなく心がけの問題です。とくに看話禅の修行は、出家·在家だけでなく老若男女、貧富貴賎も問題になりません。どこであれ、誰でも真正に発心して心を磨くことが重要なのです。もちろん出家者たちが修行に専念することができる最もよい条件の中にあるということは事実ですが、在家者だから修行ができないというわけでは全然ありません。
7 どのようにして話頭を受けるのですか?
まず話頭修行をしなければならないという、願力と信心が起きなければなりません。その願力が起きれば、僧侶のところに行き話頭を受ければよいです。外国にいる仏者の場合は、在家禅院がある海印寺の 願堂庵, 釜山 海雲精舍 禅院, 仁川 龍華寺 法寶禅院, 安國禅院などの寺刹のホームページを利用し、話頭の選定を依頼すればよいでしょう。
8 自分の修行の程度を確認したいのですが、どのようにすればよいのでしょうか?
話頭を参究し、自分の修行の程度を確認することを、「点検を受ける」と言います。点検を受ける相手ですが、周りに師とする人がいることが最も好ましいことです。でもそのような条件がない方は、曹渓宗出版社から出た《看話禅》という本に、自分で点検する方法が整理されているので、それを参考にするとよいでしょう。(《看話禅》要約本は、ここをクリック!)
9 なぜ礼拝をするのですか? /自分を低くして仏の心を起こすためです。
礼拝は自分自身を低くする謙遜を学ぶ最も理想的な修行法です。自分自身を低くするとは、自分の心を空にするということであり、自分自身に內在している「仏の心〔仏性〕」を目覚めさせるためのものです。これは、私も仏のように多くの人々にとって光になろう、という信念の再確認です。礼拝をするようになると丹田が鍛錬され、腕、脚、喉、全身運動はもちろん、呼吸まで調節されます。礼拝をしながら私たちは謙虚になる自分と丈夫になる自分を同時に感じるようになります。
10 韓国禅院の生活と日程はどのようなものですか?
韓国の禅院には、出家者の禅院と在家者の禅院があります。基本的には夏安居、冬安居の、1年に2度の間に運営しますが、一年中開放している禅院もあります。そして好きな時間に誰でも坐禅修行することができる市民禅院もあります。普通、禅院の日課は、1日に3回の礼仏と供養と一緒にします。また、運力と布行(散策)をする時間を含め、1日8時間以上、精進しています。
11 「安居」とは何ですか?/一定期間、寺の外に出ず、修行にのみ専念することです。
出家修行者たちは、一つのところに留まらず遊行しながら生活するのが原則でした。しかし、インドでは蒸し暑い夏が過ぎ雨期になると、土の中の小さい動物が這い出てくるため、步行する時に、それらを踏んで殺してしまう心配がありました。また、その期間には各種の悪い疾病が猛威をふるい遊行するのに難しいことがたくさんありました。そこで釈尊が雨期の3ヶ月の間、遊行を中止するように説いたことが安居の始まりです。韓国の場合は、気候の条件にしたがい、夏の3ヶ月〔夏安居:陰暦 4月15日~7月15日〕と、冬の3ヶ月〔冬安居:陰暦 10月15日~1月15日〕の間を安居の期間とするようになりました。この期間のあいだは山門の出入を自制し、修行にのみ精進します。また、安居の最終日には自恣という独特な懺悔儀式を挙行します。このような安居の制度を通して、和合と修行を基盤とする僧伽の結束力を再確認し、僧伽固有の伝統を守り抜くことができたのです。
韓国仏教
仏の智慧と慈悲の教えは、韓国の三国時代の四世紀頃に朝鮮半島に伝えられて以来1、700年の間、韓国社会と文化の発展に多大な影響をもたらし、今日に至っている。 仏教がこの地に伝来されるや高句麗、新羅、百済の三国は其々国教として受け入れた。中でも新羅は三国統一の精神的原動力の基とし、これを成し遂げたのである。当時活躍した元暁、義相、慈蔵のような高僧たちは仏の教えをもって戦争と葛藤で悩んでいた民衆の心を癒すと共に、全国の名山に寺院を建立して仏の教えを広く伝播した。 統一新羅時代の仏教は文化的な面から発展を試みられた。仏国寺と石窟庵といった世界的な文化的遺産が造成される一方、無垢浄光陀羅尼経は、世界最初の木版印刷術を、清州興徳寺で印刷された直指心経要諦は、世界最初の金属印刷術を見せてくれた。そればかりではなく、この当時中国で隆盛であった参禅修行法が導入され、禅宗が発展して民族精神文化の新しい地平を開かれた。これは後、三国を統合して高麗を開国するのに思想的原動力となった。 高麗も同じく仏教を国教とし、韓民族の主体性を大いに高め、絢爛たる民族文化を発展させた。特に高麗王朝は、道詵国師の風水地理説の教えを取り入れて、全国の名山に寺院を建立して仏教を広めるのに大きな貢献を果たした。また八万大蔵経版を造成して周辺の外勢の絶えない侵略からの平和を祈願し、八関斎会や燃灯会といった祝祭によって国民統合を図った。 高麗時代には諸宗派が発展した。しかし、僧侶の貴族化と寺院経済の甚だしい繁盛は民の指弾を受けて仏教が知識人層から背を向けられ、政治的に弾圧される状況を招く。 国 を開いた朝鮮王朝は国王が個人的には仏教を信望したが、儒教を国教とし、国の統治理念を儒教とした。朝鮮時代の仏教は抑圧政策によって山中に追い遣られ、孤立し、僧侶は過酷な弾圧を被ったが、深山の寺で修行共同体を成して仏教の伝統を継承し、民衆と共に生きる契機となった。 近代には日本の侵略で日本仏教の影響を受けて妻帯僧が増えるなど僧風が急激に衰退した。解放後には僧団浄化運動を大々的に展開して仏の教えによる正統僧侶が結集して、韓国仏教を代表する統合集団の大韓仏教を出帆させ、今日に至っている。
大韓仏教曹渓宗
1,700年の韓国仏教の歴史と伝統を代表する宗団が大韓仏教曹渓宗である。 曹渓宗は、新羅末に中国から禅の伝授を受けて当時の仏教界を一新した迦智山門などの九山禅門を起源とする。その宗祖は韓半島(朝鮮半島)に禅法を最初に伝えた道義国師であり、高麗の普照国師と太古国師は中興の祖である。 曹渓宗は高麗仏教の禅宗を代表する宗派として成立したが、朝鮮の世宗時代に禅教両宗に統合されたばかりでなく、燕山君代に解体されるという法難に遭遇した。しかし、壬辰の乱(文禄·慶長の役)の時、西山、四溟などの高僧たちの活躍と篤実な信徒の保護で数百年の間、山の寺院で法脈が絶えることなく伝承されてきた。その過程で教宗の流れも摂取して禅教が融合される宗風が形成された。糾す しかし、朝鮮王朝は数百年の間、崇儒抑仏政策を敷き、僧侶の都城出入りを禁止した。仏教は山中に隔離されてしまった。1895年、僧侶の都城出入が許容された。1899年には海印寺で鏡虚禅師を中心として結社運動が起り、近代の禅風を奮い起こす一方、宗団再建の思想的基礎を糾した。その結果、圓宗と臨済宗を創立して教団再建と仏教の都市進出を自主的に図ったが、日帝の弾圧によって阻止された。ここに竜城、万海のような高僧たちが日帝の統治に抵抗し、1921年に禅学院を創立した。1929年には朝鮮仏教禅教両宗による僧侶大会が開かれ、1935年には朝鮮仏教禅宗が創立された。1937年には総本山の建造運動を行う等、韓国仏教界の独自による教団の建立運動が後を絶つことなく展開された。ついに1938年に曹渓寺に大雄殿を創建し、1941年には日本仏教と区分される韓国仏教の伝統である曹渓宗を復元して朝鮮仏教曹渓宗を出帆させた。これが近代韓国仏教界の初めの合法的な宗団であり、今日の大韓仏教曹渓宗の前身である。 1945年の解放直後には、韓国仏教の伝統を大事にしてきた禅僧たちによって日帝の植民地仏教政策の遺産である妻帯僧に反対する浄化運動が本格化された。1955年に比丘僧団を中心とする曹渓宗が成立された。その後、高僧たちと政府との仲裁で妻帯僧を受け入れて、1962年4月11日に統合宗団の大韓仏教曹渓宗として新たに出発することになった。統合宗団は、徒弟養成·訳経·布教を三大指標として闡明に掲げて今日に至っている。特に、大韓仏教曹渓宗では、1947~1949年の間に鳳巌寺で一団の禅僧たちが、‘み仏の教えのままに生きよう’、というスロ-ガンの下に結社運動を提唱した。それが直接的な契機となって、宗旨宗風と儀礼形成の基を開くことになった。この時、この結社運動に同参した20余名の禅僧の中から宗正4名、総務院長5名が輩出された。 曹渓宗は、釈迦牟尼仏の教えを根本とし、「直指人心」と「見性成仏」と「伝法度生」の三つを宗旨としている。また、所依の経典は『金剛経』と「伝灯法語」であり、参禅を根本としながらも、看経と念仏、呪力なども修行法として受け入れ、通仏教としての伝統を守っている。しかし、曹渓宗がその中で最も勝る修行法として認めているのは看話禅である。この看話禅は、今のところ、世界の人たちが注目する独特な修行法である。 曹渓宗の宗旨宗風を具現する修行機関としては、綜合修道院である海印寺の海印叢林、松広寺の曹渓叢林、通度寺の靈鷲叢林、修徳寺の徳崇叢林、白羊寺の古仏叢林の五大叢林があり、曹渓宗の代表的な修行機関である禅院は宗立鳳巌寺の特別禅院、桐華寺の金堂禅院、上院寺の清涼禅院、百潭寺の無今禅院などを始め、90余禅院があり、そこで2,000余名にも上る僧侶が冬、夏の安居の時、山門の出入を禁じて精進に没頭する。 曹渓宗の宗団の運営は仏法と律蔵精神を土台として制定された「宗憲」を根幹としている。 1929年の日帝強占期に、朝鮮仏教の僧侶大会で自主的に制定した宗憲精神が近代宗団の宗憲の嚆矢となり、現行大韓仏教曹渓宗の『宗憲』は1994年 4·10の全国僧侶大会で決議した改革精神を基に制定されたものである。曹渓宗の宗団の運営構造には、まず宗統を継承する最高権威の宗正と、宗団を代表し、宗務行政を総括する総務院長とがある。中央宗務機関には、総務院·教育院·布教院があり、更に立法機関の中央宗会と司法機関の護戒院がある。また全国に25教区本寺があり、その下に3千余の末寺と布教堂がある。宗団の中央宗務機関の所在は、ソウル鐘路区堅志洞45の曹渓寺の境内にある。
曹渓宗の現況
韓国の総人口から見て、宗教をもっている人の比率は53.9%(2003年)に当り、また仏教․改新教․天主教の3大宗教が占める割合は、宗教人口の 97.5%に当る。仏教は最も多く信徒数を保有し(2003年の統計によれば、約1200万で全体の宗教人口の47%)、25個の仏教宗団(韓国仏教宗団協議会所属)が存在している。その中で、曹渓宗は韓国仏教の伝統性を継承する最大の宗団であり、その僧侶の数は約12,000余名で、全体の僧侶数の約 1/4の2,500名程の僧侶が伝統方式に従って年に二回、6ヵ月間の安居修行に入る。 公式的に登録されている寺院は、1,800ヵ寺(禅学院、大覚会等の未登録の寺院を含めると、2,800余ヵ寺)に達し、国がその文化的歴史的伝統性を認定して保存•支援する870余の伝統ある寺院の中、 90%以上が曹渓宗の寺院であり、国が指定した国宝と宝物の60%以上が仏教文化財である。 曹渓宗には、専門の修行道場である禅院が約90余ヵ寺もあり、また全国に17個の僧伽大学(講院)があり、そこで1,500余名の出家者たちが勉学に励んでいる。
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